痛風・尿酸ニュース

雑感

市田 公美(日本痛風・尿酸核酸学会副理事長/東京薬科大学病態生理学教室教授)

最近、不思議な気持ちになることがあります。小学生の頃、漠然と科学の進歩・人々の努力や社会の成熟によって未来の社会はより良くなり、大人になった頃には平和な問題のない社会になると思っていました。ところが、老境に入ろうとしている現在でも、未だに日常生活上の些細な問題だけでなく、今も国家間のトラブルが起こり、人類全体に関係するような問題などが解決されていないだけでなく、増加する自然災害や新たな感染症など新しい問題まで起きています。なぜでしょうか。人間の個人個人の能力は自分が中学生の頃の50年前とおそらくほとんど変わっていません。しかし、科学の進歩や社会システムの複雑化などにより情報量は飛躍的に増加し、処理し判断を要求される一人あたりの情報量は飛躍的に増加しています。そのため、仕事の細分化・専門化により対応していますが、全体を把握する人が少なかったり、把握が困難であったりすることにより、問題の解決を上手くできないことが多々あるように思います。また、個人の権利が保護されていることや価値感の多様化により、解決が難しくなっている場合もあるでしょう。現在、知識の保存方法は印刷やハードディスクなどいくらでもあり、その検索も瞬時に可能です。また、複雑化したシステムの事故・故障や問題を回避するための補助システムも色々と考案され使用されています。報道において、昔は情報が少ない結果、誤解などが生じ、偏見などの問題が生じたので、人種・民族や国家間の問題を減らすためには詳細で正確な情報を増やすことが必要と考えられていたそうです。しかし、受け手である人々の持っている時間は限られているため、現在は多種の情報を伝えるために、ひとつひとつの情報を単純化し伝達するようになってしまっているそうです。これらのことが示すのは、どんなに科学が進もうが、社会システムが成熟しようが、人の能力が律速段階になり、人間の関係する諸々のことの限界を決定しているということです。しばしば「地球は脆弱なので、地球(自然)を守らないといけない」と言われます。しかし、海洋学者のクストーは「地球は脆弱ではない。その上で暮らす人間が脆弱なだけだ」(記憶が不正確なので正確な言葉ではありません)と述べたと聞いたことがあります。環境が変わって多くの生物が滅亡しても、生き残る生物もいるかもしれませんし、地球の表面は変わっても地球は存在し続けるので、確かに地球は脆弱とは言えません。この言葉は人間が人間中心に物事を見て考えていることを指摘しているのだと思います。人間が関わることには人間の能力による限界があるのであれば、完璧など無いことを理解し、せめて他の生物や環境に影響を極力及ぼさないようにし、地球のがん細胞と人間が言われないようにしたいものだと思います。

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