痛風・尿酸ニュース
日本の特に基礎医学研究の危機と問題点
西野 武士(日本医科大学名誉教授)
日本の基礎研究は急激に低下しているということが各方面から聞こえます。基礎研究に基づくノーベル賞受賞者が増えていますが、受賞者の多くの業績は私の年代以上が中心です。私の年代の多くは戦後の苦しい時代に育った世代です。1990年のバブル最盛期を迎えるまでに多くはその芽が蕾になり、成長し、そして花咲いたようです。しかしその科学的精神はそれ以前から長い歴史の積み上げもあったのも事実です。明治の初期に多くは欧州に留学し科学的精神を真剣に学んだ多くの人たちがおりました。近代科学の落差を痛切に感じた人たちでした。何しろ漱石がロンドンに滞在中は地下鉄が走り、日本は馬車か人力車だったいうのですから。その後長い助走を経て、戦争の苦難の後に、真面目に物事を深く考える経験が戦後に引き継がれ、基礎研究は平和の中で徐々に時間を経て努力され、さらに経済の発展を経て進んできました。その最盛期後、つまりバブル崩壊後はどのようになったのでしょうか?基礎研究者の動向については、丁度私が日本生化学会の医科生化学教育委員長を勤めた時に全体像を知りました。前任者の清水孝雄東大教授や谷口直之阪大教授らが危機感を持ち、全国調査を行った結果でした。日本を代表する国立大学の医学部卒業生で大学院に進む人が激減し、生化学分野に限らず基礎大学院生として4年間で1名とか、大学によってはゼロのところもありました。さらに基礎医学そのものもリストラされているところもありました。日本の医学部は米国などと異なり、普通の学部を修了した後に大学院としての位置付けであるMedical Schoolと比較考慮すると、この有り様は、まるで戦前の医専に近いことになります。手取り早い技術優先の教育だけでは、基礎に遡り物事を考える思考ができず、これでは安い底の浅い人材しか産みださない、ある意味で結果的には一時凌ぎで、効率も高度さも失うことになると思うのです。
次に研究資金とテーマの問題です。元々日本の大学は欧米に比較して、研究機関としてより教育機関として、そして人材養成に必要な研究としての性格が強く、研究費は限られていました。私が学生の頃は現在あるような「科研費」は殆どなく、講座に配分される「講座費」から研究に用途されました。実際、私が大学院生の頃は科研費の枠はほとんど無く「講座費」から研究に資するのが普通でした。しかし、その後いわゆるバブル期、つまり1990年前後に「科研費」の枠は急激に拡大され、いわゆる「競争的資金」として申請し、評価され、配分される形態になりました。私自身も私自身の研究の発展時期に合致し、この科研費には大変助けられました。一方、評価が公正であり、枠も広ければ一定のプラス効果はあるのですが、一方では評価は必ずしも正確とは言えず、独創的で誰も行っていない研究ほど、芽の段階では評価は困難と思います。どうしても皮相な数値的な評価により、結果的に理解されないことが多いと思います。つまり、そのシステムのみでは、成長には向いていても芽は摘まれがちです。
私が若い時代は、公的で且公正な機関であるべき大学は企業との連携は知識の交換程度で、制限されていました。欧米の一部の大学のように大学知財部のような体制が強力な場合は別として、企業の思うままになり、研究者・そして研究機関のあるべき姿は破壊されかねないためでした。もし営利優先の企業の場合は、知財の一方的利用を意図し、時に成果の公表を制限します。企業が公表の制限する場合には、研究の公正さは担保できません。近年企業に学術部を作り、直接研究者らから研究資金の申請を勧め、企業が課題を選択し、採用するなどすれば、公的研究機関の私的利用の制度になりかねません。それはさらに利益販売網の構築等を意図する場合には、健全な学術研究の正当な発展を阻害しかねません。私は、本財団のようにきちんとした見返りなしの寄付と公正な審査体制のあるシステムの下で行われ、真に公表の自由があることが重要で、結果的に研究機関の健全な発展と将来の国の文化・科学には重要と思うのです。
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