痛風・尿酸ニュース
日本は「痛風の後発国」だが、「痛風の研究と診療は先進国」
山中 寿(医療法人財団順和会 山王メディカルセンター 副院長)
痛風は、紀元前に、かのヒポクラテスが記載したという歴史の長い病気です。特に、西洋史は痛風患者であふれています。アレクサンダ-大王、ルイ十四世、ルター、クロムウェル、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチ、ダンテ、ミルトン、ゲ-テ、スタンダ-ル、モ-パッサン、ニュ-トン、ダ-ウィン。歴史上の名だたる人物が痛風の痛みに悩まされたとの記載があり、「西洋史は痛風患者が作った」といえるほどです。 ところが、日本では、痛風は明治以前にはないとされた病気でした。豊臣秀吉や徳川家康のような歴史上の人物でも、痛風に悩まされたという記載はなく、西洋とは対照的です。痛風が日本で初めて病気として記載されたのは1931年(昭和6年)、近藤次繁博士により日本外科学会雑誌に掲載された痛風性関節炎の一例というもので、その後、ようやく痛風の認知度が高まりました。1963年には、当財団の創設者である御巫清允先生が510例の痛風をまとめて報告し、この時点で、日本における痛風に関する本格的な研究が開始されました。そして、1960年代の高度成長期以降、痛風の罹患頻度は急速に上昇し、現在では痛風はごくありふれた生活習慣病になりました。しかしながら、痛風の歴史に関しては西洋諸国より明らかに遅れており、「日本は痛風の後発国である」と言えます。 しかしながら、特筆すべきことに、痛風とその基礎病態である高尿酸血症に関する研究の進展に、日本の研究者たちが多大な貢献をし、世界の研究をリードしてきました。そして研究の成果が臨床に効率よくフィードバックされ、日本の痛風診療のレベルは世界中でも最も高いと思われます。この意味で、「日本は痛風の研究と診療の先進国」と言えるのではないでしょうか。 例えば、腎尿細管で尿酸の転送を司る尿酸トランスポーターが発見され、遺伝子多型の研究から尿酸トランスポーターの遺伝子多型が高尿酸血症や低尿酸血症の発症に深く関与していることが明らかになりましたし、尿酸産生に関与するキサンチン酸化酵素の詳細な特性が明らかになりましたが、これらは日本の研究者の功績です。痛風、高尿酸血症の治療薬である尿酸降下薬も、日本の製薬会社による研究開発が進み、この10年間に世界で発売された4つの薬剤のうち3つ(フェブキソスタット、トピロキソスタット、ドチヌラド)が日本発です。さらに痛風・高尿酸血症の診療には欠かせないガイドラインも日本は世界に先駆けて作成し、2002年に高尿酸血症・痛風の治療ガイドライン第1版を発表しました。これは世界初の痛風・高尿酸血症に対する体系的な診療ガイドラインです。さらに、痛風や高尿酸血症診療は社会で定着し、重症の痛風患者が著減しました。「プリン体」という言葉の社会における認知度は、日本が世界で一番高いのではないかと思います、 このように、痛風・高尿酸血症の研究においても診療においても、日本は世界の最先端のレベルにあると言えます。ここで私が強調したいのは、日本には一般社団法人日本痛風・尿酸核酸学会という、この領域に特化した学術団体や、公益財団法人痛風・尿酸財団という研究支援組織の存在が、これらの研究や診療体制の整備を進めるインフラになっていることです。 日本痛風・尿酸核酸学会は、1977年に前身である尿酸研究会が設立されて今年で43年、公益財団法人痛風・尿酸財団は、1984年に前身の財団法人痛風研究会が設立されて今年で36年になります。このふたつの団体の存在が、日本における痛風や尿酸の研究を加速し、診療体制の充実に貢献してきたことは明らかです。両団体の設立に関与された、当財団の初代理事長、御巫清允先生をはじめ、多くの先人の先見性、慧眼に改めて敬意を払いたいと思います。 本稿をお読みいただいた方々におかれましては、日本は「痛風の後発国」でありながら、「痛風の研究と診療は先進国」になった原動力としての当財団の意義をご理解いただき、今後ともご支援、ご協力いただきたく、お願い申し上げる次第です。
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