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理事長通信

第18号 選択ということ

多様性の時代と言われ、個人の好みに合わせることを尊重する社会になってきたようです。その半面、選択肢が多すぎて選べなくて困っているという話も耳にします。
ふと9年も前に書いた文章を思い出しましたので、何かのご参考になればと掲載してみます。

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3月に初孫が生まれてお爺さんになった。そのことの感慨は大量にあるが、それはこの文章とは関係ない。赤ん坊を乗せやすい最近の車に買い替えようかと、日曜日の朝に考えたことからこの話は始まる。

選択肢が多すぎるのである。

まず自動車会社がたくさんある。次に車種がきわめて多い。さらに色やシートの形状から内装のこまごましたことまで、すべて決めるシステムになっていることに驚いた。店頭に並んでいるこの新車が気に入った、これを買います、という安直な選択は許されないようである。車好きの人であれば至福の時間なのであろうが、車は移動手段であって、人生の目的ではないと思っている私にとっては、とてもその選択肢を熟慮する気になれず、第一そのような時間もない。販売店の店員はとても熱心に車種を選び、シートはどれが良いですか、エアコンのスイッチはどの形がお好みですかと丹念に選択を勧めてくれたが、結局のところ何も決まらないうちに日が暮れた。私は貴重な日曜日をつぶしてしまったと後悔した。選択肢を増やすことは消費者の好みを満たすことになると信じて努力されている企業の方々には誠に申し訳ないが、これが実感であった。

最近読んだ「選択の科学」(シーナ・アイエンガー)を思い出した。現代では、選択肢が多いほど良いと考えている人が多いが、彼女は必ずしもそうではないことを多くの実験で検証している。例えばある店でジャムを販売するために6種類を試食用に店頭に並べた場合と24種類を並べた場合、前者では30%の客が購入し、後者ではわずか3%しか購入しなかった。選択肢が多すぎると消費者は決定できないのだ。また米国産のイチゴジャムを買った場合でも、家に帰ってから「横に並んでいた日本産のほうが良かったかもしれない」と思い始めると、せっかく選択して購入した商品に対しても満足できないかもしれない。新車を選べなかった私と同じである。選べなかったことに対する後悔も加わるのだ。

とかく現代は選択肢が多すぎる。

薬剤の数を見てもそうであろう。降圧薬、糖尿病治療薬、骨粗鬆治療薬などをはじめ、多くの分野でとても多くの種類の同種同効薬が市場に溢れている。前出の「選択の科学」には、人間に処理可能な情報量には限界があり、7を超えると間違いが増える、ということが書かれてあった。私が専門とする関節リウマチは、生物学的製剤が導入されて治療成績は著しく改善したが、そうなると次々と新しい薬剤が開発され、現在は7つになった。7種類の異なる生物学的製剤をどのようにして選択するのか、どのように各々の薬剤の特性を理解するのか戸惑いが大きい。今後さらに選択肢が増えれば、すべての薬剤を理解して患者に使うことは困難になる。「この薬剤を使う」という選択ではなく、「この薬剤は使わない」という後ろ向きの選択が必要になるであろう。

シーナ・アイエンガーは、医療における選択についても大きな問いを投げかけている。非常に厳しい状態に置かれている患者が「情報なし、選択権なし」「情報あり、選択権なし」「情報あり、選択権あり」の3つの条件下で医療行為を受けた場合の反応を、コロンビア大学で調査した結果である。一つ目は20世紀型の父権主義的医療、二つ目はインフォームドコンセント、三つ目はインフォームドチョイスと言い換えても良い。誰だって大切なことほど自分で選択したいから、患者は当然「情報あり、選択権あり」のインフォームドチョイスが最も満足すると多くの人々は考えると思う。しかし、実際は「情報あり、選択権なし」のインフォームドコンセントが、状況がもたらす悪影響を最も和らげることができるという結果であった。つまり、医学的知識が十分ではない患者は、自分で判断することへの不安とその結果への恐れから、自分で選択することを放棄する傾向があるのである。このことは医療者にとっては、とても重い内容を含んである。医師は選択を放棄できないのである。十分な情報を与えることは医療関係者の務めであることは当然として、治療法の選択は医師のプロフェッショナリズムに大きく依存しているからである。言うまでもなく医師の責任は大きい。その責任を全うするために、我々は医学の進歩にも、広く社会全般の常識にも研鑽を積まねばならないし、患者とのコミュニケーションにも気を配らねばならない。そしてそれを生涯かけて継続する覚悟も必要になる。

社会的視座から見れば、患者の治療法を選択することは、車の車種やインテリアを選択することやジャムを選ぶこととは次元の違う話である。そのような重要な選択を、私を含めて医師は毎日何十も、何百もしていることを改めて考えると、ますます目が冴えてきた。今夜は眠れない夜になりそうである。
(ドクターズマガジン 2014年6月号より)

2023年10月20日

公益財団法人 痛風・尿酸財団 理事長
医療法人財団順和会山王メディカルセンター院長
山中 寿

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