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第141号 日本の産業と科学の衰退を食い止める秘策とは?

情報力不足が日本衰退の要因
日本の産業と科学が急速に衰退しつつある原因の中で「情報力」の不足が大きな要因を占めることは何度も述べてきました。そのため「モノ」が中心の製造業は発展したが、「情報」が大きな役割を占める情報産業やバイオ産業が発展していません。製造業の中でも情報が大きな役割を占める分野も同様に停滞しています。
科学では、モノが中心の物理学や化学は発展しましたが、統計学、情報学の発展が不十分です。医学生物学の中でも、モノを対象とする生化学、分子生物学などの部分では日本は大きく貢献しましたが、情報力が必要な生命情報学や遺伝統計学の分野では不十分な貢献しかできていません。モノと違って生き物には不確実性が付きものなので、不確実性を考慮に入れた考え方が必要なのです。不確実性を含んだ現実世界の対象物を、数や数学と対応させる概念の把握が必要です。

日本人に情報力が不足している原因
日本人に情報力が不足している原因として、日本語に、冠詞や可算名詞、不可算名詞の違いが無い事が大きいことも以前に述べました。それにより、日本の統計学、情報学の教育の中で、現実世界の対象物と数を対応させるための概念である「確率」と「ランダム変数」の教育が不足していることも述べました。これらの概念を正しく伝えるためには、冠詞などが不可欠です。
不確実な過程では、実行前には結果が不確定ですが、実行後には結果が確定します。結果が確定する前と、確定した後を区別するため「a」と「the」の冠詞が必要です。冠詞が無ければ、確定、不確定をそのたびに説明する必要がありますが、それは事実上不可能です。

情報力が重要な役割を果たした産業分野
今回は産業における具体例を示してモノと情報の違いを説明します。最近、ASMLという見慣れない名前の企業が世界時価総額ランキングの50位以内に入ってきました。日本企業で50位以内に入っているのはトヨタ自動車(44位)のみです。ASMLは半導体露光装置を開発、販売するオランダの新興企業です。この分野はニコンとキャノンが世界市場の大部分を占めていましたが、現在はASMLの後塵を拝しています。その理由は、日本企業が光源やレンズに重点を置いたのに比較して、ASMLはソフトウェアに重点を置いた事にあるといいます。ソフトウェア以外はほとんど外注としました。モノより、それを制御する情報を重視したのです。
モノである光源やレンズをいかに精巧に作ったとしても、求められる製品には顧客による、時期による、自然条件による、新たな研究成果による、あるいはその他の不明な要因による不確実性が必ず存在するので、その不確実性に情報力で対処する必要があります。膨大なデータを集め、情報理論で対処する必要があるのです。現実世界の対象物に関係する不確実性に対処するためには、対象物や結果を「ランダム変数」と対応させ、その起きやすさを集合論や測度論を用いた「確率」で示さなければなりませんが、それを説明する文章には可算、不可算名詞の区別や冠詞が必須です。
日本企業がモノを重視したのと対照的に、対抗する外国企業が情報を重視し、大発展した例として、パソコンよりソフトウェアを重視したマイクロソフト、機械よりアプリケーションやシステムを重視したアップルなど、多くの例があげられます。以前、世界を制覇した日本企業が欧米企業に敗北した場合のほとんどがこのパターンのようにも見えます。情報が得意な欧米企業と住み分けして、日本企業はモノづくりに徹する判断をした場合、今度は中国企業が低賃金、資金力、中央集権的意思決定の利点を生かして日本企業を圧倒する可能性があります。

Googleのページランクの例
同様の例は、Googleの検索エンジンにも当てはまります。インターネットが発展してきたとき、個々の顧客の要求に答え、それぞれのウェブサイトをどのように効率的に検索するかという問題が生じました。ブリンとページはそれをマルコフ連鎖の問題と考え、ページランクアルゴリズムを考案し、特許化しました。
検索を始める個人は、まずランダムに、あるウェブサイト(ページ)を選択します。その後、そのページのリンクをたどって、別のページへと飛んでいくでしょう。リンクの選択はランダムに行うとし、これを無限に繰り返すとき、どのページに、どの確率でたどり着くでしょうか(エルゴード性などの問題は省略)。これはマルコフ連鎖であり、インバリアント分布によりすべてのページをランク付けできます。
そう言われれば、確かにそのとおりです。しかし、現実問題に最初に向き合ったとき、これを前例がない状態で正しく把握し、理解できることが重要なのです。偶然の思い付きでは不十分であり、納得を伴った理解をもってモデルを構築することが必要です。情報力があるとは、そのような能力を言うのであり、既に他人によってモデル化されたものを理解できる程度では不十分です。
そして、現実世界の対象物を最初に数学モデルに落とし込むには、可算、不可算名詞や冠詞、更にはランダム変数や確率の正しい理解が必要です。ページがa pageか、the pageか、pagesか、またはthe pagesかの区別が無いと十分に概念を把握できず、他人に伝達できません。次に飛ぶ可能性のあるページはa page、またはpagesですが、飛んでしまえばthe page、またはthe pagesです。これらを区別しながら現実世界の対象物を数式と文章で表現し、理解する必要があるのです。更に、マルコフ連鎖の状態がa stateかthe stateか、statesか、またはthe statesか、ステップがa stepかthe stepか、stepsか、またはthe stepsかの区別が必要です。それらの区別のない文章は、内容の一部しか表現し、伝えることができません。

情報力を付けるための対策
日本人研究者や日本企業は、既に欧米でモデル化されたものを理解する能力はあっても、まだモデル化されていない現実世界の不確実性を含んだ対象物をモデル化することが不得手であり、そのため産業と科学が衰退しつつあるというのが私の意見です。
この問題に対処するには、ランダム変数や確率の概念を、英語と日本語で対比して十分な時間を取って教える必要があります。英語の確率論や統計学の教科書では、この二つの概念の説明に多くのページを割き、例を引いて解説しています。この二つの概念はいずれも関数ですが、一般の関数のように数から数への関数ではありません。確率は出来事から[0,1]への関数であり、ランダム変数は結果から数への関数です。現実世界の対象物である出来事や結果が関係するので、その記述と理解に冠詞が必要となるのです。更に日本の教科書ではしばしばランダム変数を確率変数と誤訳しています。これではランダム性や確率の概念を正しく理解することが困難です。ランダム性は結果が不確実なことを意味し、確率は、その不確実性の中でも起こりやすさの程度が確定していることを意味するからです。
また、ランダム性と確率を理解するために重要な例題としてメンデルの法則があります。メンデルの法則の本質は出来事の「ランダム性」と「確率」が確定しているという事実にあります。我々の存在の根源である遺伝の法則が、このような概念に支配されていることを学校教育で十分教育すべきです。メンデルの実験結果の解説だけではなく、そのような概念を正しく把握するように教育すべきです。
また、情報力の重要な要素である推測統計学はメンデルの法則を基礎に構築された学問体系です。線形モデル、回帰、分散、尤度/最尤法、ランダム化、検定や推定などの問題を単なる数式や解析手法だけでなく、現実世界の対象物を数や数学に対比させる概念として教育すべきです。
これらの教育の効果が表れるまでには長い年月が必要ですが、それなしに日本衰退の阻止は難しいであろうというのが私の考えです。表面的に欧米由来の流行を追うだけの教育では、深い知識や理解には至らず、残念ながら我が国がズルズルと後退するのを見るばかりでしょう。

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