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第139号 因果と科学

日本では科学教育において「技術や手法」が重視され、「概念と原理」の教育が不足しています。”how”が重視され、”why”が軽視されているのです。最近の人工知能でも欧米や中国に大きく遅れていると言われますが、その理由はここにあると私は考えています。情報学の遅れも、統計学の遅れも、遺伝学の遅れもこれに起因していると考えています。もちろん、デジタル化の遅れも同様です。太平洋戦争における敗戦も、最近の産業の衰退の原因もここにあると私は考えています。

具体的に言うと、最近の人工知能の画期的技術である深層学習についても、最小二乗法、回帰、ロジスティック関数、ソフトマックス関数、クロスエントロピー、最尤法などの用語が意味の説明なしに唐突に出てきて、手法の説明だけで、なぜそのような手法となるかの説明が不足しているのです。そのため、手法の一応の応用はできますが、実感と納得が得られないため大きな発展が望めないのです。

科学におけるhowとwhyの問題は歴史的にも大きな議論の対象です。「科学はhowに答えることが目的であり、whyに答えることが目的ではない」と述べたのはカール・ピアソン(1857-1936年)です。彼は著書、The Grammar of Science(1892年)の中で強くこれを主張しています。科学は連続して起きる、我々の”sense impression”を説明する手段にすぎず、絶対的真実は無いという相対性理論(The Theory of Relativity)を唱えました。これに強い衝撃を受けたアインシュタインがその後、相対性理論を時間、空間、物質、エネルギーに応用していったことはよく知られています。ピアソンは因果についても絶対的因果を否定し、時間的前後などが”sense impression”に、そのような印象を形成させているに過ぎないと述べています。そのため、複数の要因の関連を”contingency table”を適用した相関係数(correlation coefficient)で解析することを推奨します。その他、カイ二乗分布や検定、モーメント、主成分分析など数々の統計学的手法を発見します。そのため、ピアソンは古典統計学の完成者と考えられています。

このピアソンと激しく対立したのが近代統計学の創始者と考えられているロナルド・フィッシャーです。フィッシャーはThe correlation between relatives on the supposition of Mendelian inheritance. と題した論文を投稿しますが、これに激怒したピアソンに度々、リジェクトされ、最終的に1918年Royal Society of Edinburghにアクセプトされます。それではピアソンはなぜこの論文に怒ったのでしょう。これは、古典統計学(記述統計学)と近代統計学(推計統計学)の違いを考える点で重要なことです。

この論文の中でフィッシャーは多変量線形モデル、P(表現型値)=G(遺伝型値)+E(環境値)+εを導入します。この式の右辺が原因であり、左辺が結果であることは明確です。また、家系データを用いて先祖と子孫の関係を原因と結果として区別しました。そして、原因が結果に及ぼす効果の大きさの推定に、分散という変数を用いる事を提案します。「遺伝子が原因で表現型は結果」、「親が原因で子は結果」という明確な主張がピアソンを激怒させたと考えられます。ピアソンは生物計測学(biometrics)という学問分野を取り扱う雑誌、Biometrikaの編集者であり、メンデルの法則とは違った数理生物学を展開していたのです。

フィッシャーは1919年以降、Rothamsted農業試験場に勤務し、植物に与える遺伝と環境の効果を調べる方法を考案します。それは、メンデルの法則に特徴である「ランダム化」に着目したものでした。つまり、メンデルの法則が自然に行っているランダム化を、人為的に植物に適用する方法です。このランダム化の概念は薬効検定に取り入れられ、ランダム化比較試験として、薬の効果と安全性を確認するために最も重要な方法となっています。また、遺伝統計学の分野でも、膨大なゲノム情報を用いて表現型間の因果を評価する方法としてもMendelian randomization法としてしばしば用いられています。

医学、生物において因果を確認することは容易ではありません。例えば、ある薬を服用した患者が改善したとしても、本当に薬が原因で改善したかどうかの確認は困難です。ワクチンが原因で何か健康障害が出たとしても、その原因がワクチンかどうかを確認することは容易ではありません。

親が原因で子は結果、遺伝子が原因で表現型は結果、という揺るぎない因果の論理があり、それを応用したランダム化試験が因果を解明するカギとなっています。この論理が記述統計学から推計統計学への移行のカギとなっているのです。記述のためには因果の概念は不要ですが、推計のためには因果の論理が不可欠なのです。ピアソンは一生因果を認めず、一生メンデルの法則を認めることはありませんでした。しかし、ピアソンの残した優れた統計学の手法と概念は、フィッシャーによるものと同様に、今でも燦然とした輝きを放っています。

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