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第137号 情報の系譜とこれからの科学

世界への影響力が最も大きいと言ってもよいアメリカ合衆国の大統領がトランプからバイデンに変わり、どのような政策の変化が起きるのか、世界中の注目が集まっています。特に科学軽視の傾向があったトランプに比較し、バイデンは科学に対しどのような接し方をするのか、様々な面で台頭する中国に対し、どのような政策を取るのかを世界は注目しています。

バイデンは、エリック・ランダーを大統領科学顧問兼科学技術政策局(OSTP)の局長に選出しました。もし彼が米国上院で承認されれば、バイデンの内閣のメンバーとしての役割を果たすことになるといわれています。多くの科学者は長い間、OSTPの長官を閣僚級の地位に昇格させることを求めてきましたが、その要望がかなえられる見込みとなりました。もしそうなれば、バイデンは科学重視の政策を取ると見られます。また、健康に関する研究の中心的存在であるNIHディレクターのフランシス・コリンスはそのままの地位にとどまるという事です。

米国の科学全体の政策決定のかなめと、医学と健康に関する研究政策のかなめのいずれにも遺伝学者、ランダーとコリンスが選ばれたことは象徴的な出来事です。遺伝学が、これからの科学の焦点である「情報」のかなめに位置する事を示す出来事だと考えられます。進化における情報の系譜は「遺伝子、脳、AI」の順です。約40億年前に現れた遺伝子が約7億年前に脳を作り、その脳が最近になってAIを作ったという系譜です。なお、心配なことに「日本は他の科学や医学は発展しているのに、遺伝学が極端に弱いという尋常ではない状態を呈している」と遺伝学の歴史を解説した海外の本に書かれています。

エリック・ランダー、フランシス・コリンスの二人はいずれもゲノム研究に多大の功績のあった遺伝学研究者ですが、コリンスが嚢胞性繊維症の原因遺伝子の発見やヒトゲノム計画という具体的なわかりやすい業績があるのに比較し、ランダーの研究は数学を基礎にした極めて難解なもので理解が困難だと考えここで解説したいと思います。

ランダーは遺伝学者であることは確かですが、天才的応用数学者ともみなされるべきです。数学がすべての科学の基礎となっている事を考え、更に近年の産業においても中心的役割を果たしつつあることを考えると、国家の科学全体を展望する上で最適の人選と考えられます。

1900年にメンデルの法則が再発見されて以来、遺伝学は急速に発展を開始しました。1908年頃よりモルガンはショウジョウバエを用いた遺伝的座位を決定する研究を行い、米国で初めてのノーベル医学生理学賞を受賞しました。そのデータに数学を初めて適用したのが統計学の創始者の一人、ロナルド・フィッシャーです。1922年、彼は尤度、最尤法という手法を初めて導入し、この問題を解決する方法を提示しました(1, 2)。このように、遺伝子間の連鎖をもとに染色体上に遺伝子をマップする方法を連鎖解析といいます。尤度や最尤法の概念はその後、統計学にも大きな影響を与え、回帰や人工知能の深層学習も基本的に最尤法に基づいています。

連鎖解析をヒトで行う事は困難でしたが、戦後日本の原爆調査を行い木村資生や増山元三郎の発掘にも貢献したニュートン・モートンは1955年、逐次検定を採用したロッドスコア法を開発し(3)、この分野に大きく貢献しました。更に、1971年エルストンとステュワートは実際に家系データを用いてロッドスコアを計算する方法を発表しました(4)。これまでは尤度を親から子へと計算する方法を用いていましたが、エルストンとステュワートの方法では子孫から先祖へと遡って計算する逆転の発想を用いています。そして、ジャーグ・オット、マーク・ラスロップ(5)はそのコンピュータプログラムを開発しました(LIPED、LINKAGE)。

ところが、数学出身で経済学の教授も務めたエリック・ランダーは驚くべき方法を導入して連鎖解析の問題を進化させました(6)。これまでの家系の尤度計算法は先祖から子孫へ、あるいは子孫から先祖へと縦方向の計算法でした。しかし、エリック・ランダーの提案した方法は、染色体に沿って横方向に計算する方法です。彼は、未知の疾患関連剤を含む各座位で、家系全体の情報を含む継承ベクトルを定義し、染色体に沿って進むマルコフ連鎖を適用しました。そしてその計算を行うプログラム(MAPMAKER、GENEHUNTER)を発表し、それらが以前の計算法と同値であることを示しました。この手法は多くの遺伝病の原因座位特定に応用され、ヒト遺伝病の原因遺伝子の解明に大きく貢献しました。それまでほとんど原因不明であった遺伝病の原因の多くが解明されました。最近、様々な遺伝病の治療法が開発されていますが、そこには連鎖解析手法の貢献があることを忘れてはなりません。その後、ランダーはMIT、Whitehead Institute、Broad Instituteに所属し、家系データだけではなく集団のゲノムデータを用いたGWASに関する遺伝学、更にはがんゲノムの数学的手法の開発と応用を指導しています。

エリック・ランダーは天才的応用数学者であり、現実世界の対象物に数学を適用する能力が並外れています。その対象は経済であっても遺伝であっても、また最近の人工知能であってもかまいません。人工知能においても基本的に遺伝や脳と同様の尤度最大化、エントロピー最小化の原理が支配しています。今後の科学は、遺伝と脳、更には人工知能を統合的に解析する方向へと向かうでしょう。そこで応用数学が中心的役割を果たすことは間違いありません。なお、これらの考察を最近、reviewとして発表したので興味ある人は読んでください(文献7: Kamatani N. Genes, the brain, and artificial intelligence in evolution. J Hum Genet. 2021 Jan;66(1):103-109.)。

トランプ前大統領による米国の分断は様々な面から捉えることができますが、一つの側面は「科学重視 vs 科学軽視」でしょう。世界の、特に先進国の経済や産業の中心が「技術」から「科学」へと移りつつあり、特に「数学」の重要性が増すようになりつつあります。対象が「モノ」から「情報」に移りつつあるともいえ、価値がモノを動かす筋肉から、情報を動かす脳に移りつつあるともいえるかも知れません。それにより女性参加などの良い面が多くあるものの、格差拡大などの負の面も見逃せません。これから社会がどのように進むべきかを考察するには各論だけでは不足です。全体を見渡す俯瞰的視野が必要になるでしょう。

最近の数学や人工知能の専門誌を見ると中国人の著者名で満たされていることに驚きます。もともと中国は脳の数では圧倒していましたが、これに教育のインフラが加われば当然予想された結果です。トランプ前大統領は科学を軽視することで一部の人々の支持を得ることに成功しましたが、ただ科学的な対象に怒りの感情をぶつけるだけでは問題は解決しません。一時的には一部の人々の不満の解消には寄与するかもしれませんが、国家の力は次第に衰えていくでしょう。バイデンの米国は明らかに数学重視の科学立国を目指していると考えられます。おそらく、トランプとは異なった中国への対抗策を考えているでしょう。中国は文明の歴史は長いですが、近代科学の歴史は深いとは言えません。AIの応用のように、人海戦術と資金がものをいう世界では中国に勝つ国はありません。米国は遺伝学と脳科学まで掘り下げた、歴史に基づく深い科学で対抗しようとするのではないでしょうか。

一方、最近の科学雑誌への日本人著者の貢献度の低下を考えると、我が国は厳しい立場に追い込まれそうです。さて、日本はどうするか。もともと我が国は、純粋数学は強いが応用数学は強いとは言えません。特に、情報を扱う応用数学に弱いのです。太平洋戦争の敗戦の要因の一部も、また近年の日本の産業の低迷の要因の一部もここにあります。私はこれを教育方法で変えられると考えていますが、日本のリーダー達は問題に気付くほど賢いでしょうか。応用数学を軽視し、モノづくりのみを重視する産業政策が続けば、日本全土がラストベルトになるおそれさえあります。

 

  1. Fisher RA. On the mathematical foundations of theoretical statistics. Philosophical Transactions of the Royal Society, A: 222: 309-368, 1922.
  2. Fisher RA. The systematic location of genes by means of crossover observations. Amer Naturalist 56: 406-411, 1922.
  3. Morton NE. Sequential tests for the detection of linkage. Am J Hum Genet 7:277-318, 1955.
  4. Elston RC, Stewart J. A general model for the genetic analysis of pedigree data. Hum Hered 21: 523-542, 1971
  5. Lathrop GM, Lalouel JM, Julier C, Ott J. Strategies for multilocus linkage analysis in humans. Proc Natl Acad Sci U S A. 81:3443-3446, 1984.
  6. Kruglyak L, Daly MJ, Reeve-Daly MP et al. Parametric and nonparametric linkage analysis: a unified multipoint approach. Am J Hum Genet 58: 1347-1363, 1996.
  7. Kamatani N. Genes, the brain, and artificial intelligence in evolution. J Hum Genet 66:103-109, 2021.

 

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