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医学の地平線

第135号 海外から見た日本社会の情報能力

戦争における情報
マッカーサーは第二次世界大戦後、米国議会での証言で「日本人はまだ生徒の段階で、12歳の少年である。」と述べたとされる。これについては、日本の戦争責任を軽くする意図に基づいたのではないかなど、様々な解釈がなされている。日本社会からは、「ばかにするな、日本人は優秀だ」という反論も多く寄せられたようである。しかし、太平洋戦争で米軍を指揮した司令官には、日本軍の著しい情報能力の不足が念頭にあったのではないかと私は想像している。12歳と言えば小学校から中学校に進む年齢であり、ここで算数が数学となる。
例えば日米戦の雌雄を決したミッドウェー海戦では日本軍の暗号が完全に解読されていた。後日、この海戦に従事した米軍将校の証言などにより、日本軍の作戦が事前に詳細に把握されていたことがわかっている。その後の様々な日米戦においても、暗号解読により日本軍の作戦が米軍に把握されていたと考えるのが自然である。しかも更に重要な事は、日本軍が自軍の暗号解読の可能性と、その重要性にほとんど気づいていなかったことである。
モノは容易に認識できる。例えば目に見える航空機や戦艦、航空母艦の重要性は誰でもわかる。しかし、暗号解読、機械制御、統計学などの情報能力の重要性は容易には認識できない。見えも聞こえもしないからである。情報を理解するための論理構造を脳内に構築する必要がある。さもないと目に見える対象だけを認識することになり、敵の行動が魔法のように見えるであろう。暗号解読理論が理解できないと、敵はわが軍の行動を超能力者のように正確に予測できると感じるだろう。機械制御理論を理解しないと、熟練には程遠い敵の若造操縦士が発射した魚雷の命中率の高さに驚愕するであろう。統計学を理解しないと、複雑に関係し合った敵の食料や燃料の補給が何故か過不足なく進行する事を不思議に思うであろう。
マッカーサーは日米戦の米軍司令官として情報能力の重要性を痛いほど認識していたので、終戦後の日本占領により日本軍のあまりに貧弱な情報能力を知り唖然としたのではないだろうか。しかし、それを具体的に指摘する事は永遠にできない。自軍の情報能力について少しでも明らかにすることは軍指導部にとってご法度だからである。戦争中の情報能力に関する知識は、現在でもそれを知った人の墓の下に眠っていると考えられる。さらに深刻な事は、日本側がこの情報能力不足の事実を、戦後から現在に至るまで十分把握できていない可能性である。

遺伝学における情報
戦争における戦略は人間の脳の働きによるものであるが、人間の基本的情報は遺伝子に存在する。人間が生物としての情報を次の世代へ伝えられる手段は受精卵のみである。受精卵の中に存在する情報は30億個のゲノム配列のみである。ゲノムはDNAという「モノ」であるが、ゲノム配列という「データ」である。しかし、遺伝子は「情報」という更に重要な側面を持っている。従って、人間を含む生物にとって、生物学的情報は遺伝子に由来すると考えられる。生物学的情報以外の情報は脳に由来する。
米軍は原爆によるヒト遺伝子への影響に重大な関心を持っていた。マラーのショウジョウバエを用いた実験により、放射線が遺伝子に重要な変化を与える事はわかっていたからである。そのため、多額の資金を投入し広島と長崎に放射線影響研究所を設立した。そして米国の優秀な遺伝学者と統計学者を派遣したのである。放射線影響研究所に派遣された米国の遺伝学者、統計学者達が日本のこの研究分野に大きな影響を与えた。彼らの情報に関する考えは、当時の日本の科学者から見ると極めて異質のものであった。
原爆による放射線の影響を調査するために派遣された、遺伝学者であり統計学者であるニュートン・モートンは増山元三郎と木村資生という2人の日本人の能力を見出し、米国流の統計学と遺伝学を紹介した。彼らは西欧流の統計学、遺伝学を学び世界的な成果を発表したが、2人の研究は、当時、日本の多くの研究者には理解不可能であった。例えば増山元三郎は、卒業した東大理学部の数学関係者からは評価されず、東大医学部の物療内科で研究を進めている。当時、人間を対象とした日本の伝統的統計学は京大教授から京都府知事に転身した蜷川虎三のように、現実のデータを集計して基本的な解析を行う(記述統計学)事が主流であった。増山の、人間や生物のように不確実な少数のデータから大胆な推論を行う推計統計学の手法は、当時の日本の研究者には一部を除き全く評価できなかったと考えられる。木村資生も欧米の研究者の評価を待つまで、その重要性が日本の研究者に理解されることは無かった。
当時に比較すると、現在の日本は遺伝学にしても統計学にしても格段の進歩を遂げた。しかし、最も基本的な部分が欠けているのではないかと私は考えている。例えば、2008年に出版されたHarperの著書、Short History of Medical Geneticsには次の記述がみられる。Japan provides an unusual situation, for medical and human genetics have here been particularly weak, despite highly developed scientific, technological, and medical traditions.つまり、日本は科学・技術が発達している中で「人類遺伝学、医科遺伝学」が極端に弱く、これは尋常ではない状態であると、驚きを持って指摘している。これは、マッカーサーの言った「日本人は12歳」と言う評価と共通した面を持つと私は考えている。即ち、目に見える「モノ」を対象とした科学・技術はすぐれており、モノと一対一に対応する事の多い「データ」は良く理解できるが、目に見えない「情報」という面が特に弱いという指摘である。
現在でも日本社会は、情報の本質的な面よりも、目に見える結果や方法のみに注目しているように思われる。ここでは詳しく述べないが、統計学や遺伝学で用いられる基本的概念を示す用語にも大きな問題があるのに、それを指摘する意見はあまり聞かない。また、深層学習を含む人工知能の分野でも、結果やアルゴリズムのみに注目し、その深い内容や意味には興味を持たないように思われる。結果やアルゴリズムは目に見える「モノ」や「データ」であるからである。非難を覚悟のうえ言うと、日本社会は情報を理解する上で何か重要な概念が未だ基本的に欠けているのではないだろうか。しかも、その欠けている部分は見えも聞こえもしないので、それが欠けていることが理解できず、またそれが重要であることも理解できないのではないだろうか。
何が欠けているかと言うと、私は現実世界を対象として「不確実な過程と確率」の概念を深く理解する力が欠けていると考えている。そのため現実世界の対象物と数学が、脳の中で納得のいく形で結びつかないと考えている。この欠けている部分を補う教育法を次回、提案したい。

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