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第106号 科学者は歴史を知ろう(4)

前回は、生物学の歴史について、19世紀のダーウィンやメンデルの業績が科学革命に相当するという考えを述べました。また、1950年代のワトソン、クリックによるDNAの二重螺旋構造モデルにより生物学のパラダイムシフトが起きたと述べました。また、ワトソン、クリックの論文の頃を境に「形の時代」から「分子の時代」に変化したという仮説を述べました。

パラダイムは科学者集団が共有するチャート、図、表などで構成される概念的フレームワークに基礎を置きます。それでは、最近の生物学医学論文にはどのようなチャート、図、表が多いでしょうか。もちろん、分子の時代を象徴するアミノ酸配列、ヌクレオチド配列、分子図、分子の3次元構造も多く用いられています。しかし、最近になってNew England Journal of MedicineやLancetなどの医学雑誌には、疫学で用いられる様々な統計解析の結果が掲載されています。P値、効果サイズの点推定、区間推定、さらには生存時間分析のカプラン-マイヤー図、コックス比例ハザードモデルの解析結果などが多く掲載されています。最近ではメタ解析の結果を示すフォレストプロットが重要になっています。これらの図や表は発表者が自分で手計算した結果ではありません。ほとんどの結果はコンピュータプログラムにデータを入力すれば自動的に得られるのです。発表者はその結果を図や表にして論文投稿します。そして、研究者達がその計算の意義を十分理解しているかというと、申し訳ありませんが、私はそのようには思いません。しかし、研究計画を示すフローチャート、用いられた統計学的手法と統計プログラム名、それにコンピュータからの出力結果の3点セットがそろえば優れた論文の条件を満たします。つまり、疫学統計パラダイムが現に出現しているのです。

Geneticsの世界でも最近の論文は以前とは様変わりしています。膨大なゲノムデータを統計解析して得られた表、図、ファイルが多くなってきています。最初に重視されたのは連鎖解析の結果のロッドスコア図です。引き続き、GWAS(ゲノムワイド関連解析)の結果を示すマンハッタンプロット、リージョナルプロット、PCA図、更にはMAF、オッズ比の点推定値、区間推定値、P値などを含む表が多くなってきました。最近では全ゲノム解析、エキソーム解析の結果を示す統計的円グラフ、棒グラフ、変異塩基リスト、データベースファイルなどが増えています。そしてこの場合も、ほとんどの研究者は機械とコンピュータに頼りきりで、それらの結果が得られた原理の詳細は理解していないのです(ごめんなさい、理解している研究者ももちろんいます)。つまり、遺伝統計パラダイムの出現です。

自分のやっていることを完全に理解できないで、結果だけを発表するとは科学とは言えないと言う声が聞こえそうです。しかし、パラダイムが出来上がった後の科学者集団の行動は、どの分野でも似たりよったりです。パラダイムを構成する概念的フレームワークは、クーンの言うように、構成される段階では理解されていますが、一旦、完成するとその深い内容を必ずしも理解する必要はないのです。完成されたパラダイムはそれ自体が真実の基礎を構成する公理系のようなものです。現代の分子生物学者がシュレディンガーの波動理論やハイゼンベルクのマトリックス理論、更には群論を理解していなくても、パラダイムを構成する図やチャートを介して研究の正統性を判断しているのと本質的には同じです。

以上のことで理解できるように、「形の時代」「分子の時代」の次は「情報の時代」が出現したと言えそうです。臨床における情報の時代は、1990年頃のEBM (evidence-based medicine)運動の開始、更にはICHの設立、GCPの発表(ICHとGCPについては次回、説明します)などに起源を持つと考えられます。Geneticsについては2003年のヒトゲノムの解明が一つの区切りとなりそうです。多少のあいまいさはありますが、私はワトソン、クリックによるDNA二重螺旋構造が発表された1953年、ヒトゲノム配列の解明が宣言された2003年を一つの区切りとする事ができると考えています。ここで、「形の時代」から「分子の時代」、そして「情報の時代」へと移行したと考えるのです。もちろん、情報の時代になっても分子の重要性が低下するわけではありません。今でも、形の重要性が低下していないのと同じです。しかし、大部分の研究者は次第に「情報」に焦点を当てるようになるであろうというのが私の予測です。

パラダイムシフトで有ることの証拠として、学界の大御所による激しい批判や攻撃があります。今では少なくなっていますが、やはりそのようなものは初期にはかなりありました。私は大学を卒業した1973年に「遺伝子、コンピュータ、統計学」の3つが重要になるであろうと確信したので細胞生物学や分子生物学的研究を行いながら、そのような仕事を発表してきました。その時、発表内容に関して激しい怒りを示される大御所の方にしばしば遭遇しました。発表の最中に学界の重鎮から「お前の言うことは間違っている」とフロアから大声で非難されたこともあるし、紙面で「このようなあざとい研究」と攻撃されたこともありました。そのような時、私は実は非常に嬉しい気持ちで一杯でした。クーンの「科学革命の構造」を知っていたからです。

このようなパラダイムシフトの時に起きる大激論ではどちらかが正しく、もう一方は間違っているわけではありません。パラダイムが異なるだけなのです。しかも、パラダイムの異なる人々の間の論争は、かけがえが無いほど重要なのです。2つのパラダイムの相違点を根本から比較する事により、それぞれのパラダイムの更に深い意義が明らかになるからです。ボーア、ハイゼンベルクとアインスタイン、シュレディンガーの論争も、メンデル学派と生物計測学派の大激論も、どちらかが間違っていたわけではありません。どちらもそれはそれで素晴らしい理論なのです。ただ、時代は確実に不確定性理論、メンデルの法則を容認する方向に動いていったのです。

それでは科学革命に欠かせない、ガリレオは誰なのでしょう。分子の時代が情報の時代に移るとして、そこにはガリレオはいなかったのでしょうか。私は、3つの可能性があると考えています。第一に、情報化時代になり、科学革命の主人公が一人や少数である時代は終わったという可能性です。第二に、これから出現するという可能性、第三に、すでに出現しているが、我々にそれを評価する力がないという可能性です。メンデルの例を見ても、それを社会が理解するまでに10年、20年、いや30年もかかることはありうる事なのです。そして現代を含め、いつの時代でも、社会の目は曇っており本当の真実は見えないものなのです。

これまでは科学分野における極めて大きなパラダイムシフトについて述べてきました。しかし、中程度のもの、更には科学以外の分野でも、それぞれの分野で評価の枠組みが急に変化することはしばしばあります。このような小さな変化は、もちろん「革命」とは呼べません。しかし、最近の「パラダイム」ということばの概念の拡張から、このような場合も、この言葉を用いても良いのではないでしょうか。この時、パラダイムシフトを起こす側に加わるのか、敏感に反応して早い段階でそれを受容するか、あるいは初期には反発しても新しいパラダイムが十分安定した後に、そのパラダイムに従って生きていくのか、これは大きな問題です。日本はこれまで後者の生き方を取ることが多かったように思います。むしろ、既存の利益を守るために、新たなパラダイムを拒否する事が多かったのではないでしょうか。しかし、ほとんどの場合、結局は欧米に追随せざるを得なかったのです。

これまではパラダイムシフトが終結して、その後にそれを取り入れる方法でも何とかなりました。「正しい」枠組みは欧米で完成され、それを取り入れれば良かったのです。それでも十分、世界に遅れを取ることはありませんでした。しかし、それは、産業や科学の分野で日本と競争できるアジアの国々がほとんど無かったからではないでしょうか。しかし、今後は、そのような事は望めないでしょう。また、これまでにも、同じルールで戦う場合は欧米に追いつき、追い越すことはあっても、結局は欧米の「ルール変更」に泣いてきた業界は多いのでは無いでしょうか。「欧米は勝手にルールを変更するからずるい」と言いながら、それを容認せざるを得ないことも多かったのではないでしょうか。それこそ、実はパラダイムシフトであった可能性があります。これからは、欧米がルールを変更する部分から関与する必要があると思います。

次は、パラダイムシフトの産業とのかかわりについて、創薬パラダイムを例にとって述べたいと思います。

(続く)

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