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第101号 確率のない国

これは架空の国の話です。現実世界の話ではありません。

あるところに、「確率」の概念がない国がありました。すべての物事は、「ある」か「なし」で決まるのです。曖昧なことでも「ある」か「なし」です。未来の不確定の事でも割り切って「ある」か「なし」で決めるのです。どうしても決められない場合は「アバウト」と言う、一つのカテゴリーに分類します。アバウトの案件にも決断を下さざるを得ない事があります。その場合、大きな役割を果たす手段は「直感」と「情緒」です。なんと、潔く清々しい事ではありませんか。

この社会では形あるものが好まれます。内容についてはあまり考慮されません。形あるものは「ある」「なし」で決まりますが、内容は「ある」「なし」で決まらないからです。また、形ある大きなものが好まれます。大きい小さいの判断には曖昧さが無いからです。
この国の名詞には、「a」と「the」の区別がありません。「a」のような不確定な対象と「the」のような確定の対象を区別する必要がないからです。この国のことばには数えられる名詞と数えられない名詞の区別がありません。「ある」か「なし」か、は数えられるに決まっているからです。

この国の政治家のほとんどは文科系で、確率は理解できません。考えを伝達する手段は、文章しかないのです。政策決定は確率の概念なしに行われます。アバウトに分類される事項の決定は全て「直感」と「情緒」に委ねられます。個人の判断によりどちらにもなるのです。何とよく考えられた、便利なシステムではありませんか。詮索好きの一部の人々は、それを「個人の利益誘導」と批判しますが、それは当たらないでしょう。この国の政治家たちは皆、清い心の持ち主である事は間違いないからです。

理科系の人々の意見は求められますが、政策決定には加わりません。理科系の人々の一部は確率を理解していますが、それは抽象的世界で用いるもので、現実世界で用いるべきものではないと理解しているからです。現実世界に用いなければ失敗はありえません。失敗がなければ、責任も取る必要がありません。何と便利なシステムではありませんか。
ある時、この国に大変な問題が持ち上がりました。大国と戦争するかもしれないと言うことになったのです。戦争は負けると塗炭の苦しみが待っています。もちろん勝っても悲劇が待っています。戦争は勝つか負けるかわかりません。客観的にはこの国が勝つ確率は10%も無かったのですが、何しろこの国には「確率」の概念がありません。不確実な未来の結果を判断する手段が無いのです。

この国では戦時には熱血漢の若者が好まれます。アバウトな案件に、死をもおそれず、後先顧みず「ある」「なし」の決定を下し、行動するからです。なんと勇ましく、潔く、清々しいではありませんか。アバウトの案件には、自分の好む方向に決断が下されます。「我が国は特別な国だから必ず勝つ」「戦争で悪い敵をこらしめる」。そして、解らない人々には解りやすく、解る人々には不可解な、世界最大の兵器が建造されました。確かに戦果無く沈没させられましたが、それはそれでいいのです。世界最大の兵器を建造する事に意味があるのです。
結果は言うまでもありません。今でもこの国には「確率」の概念はありません。形のある「ハコモノ」の建造に余念がありません。誰でも理解できるものだからです。形のあるものはそれ以上、大きくはなりません。形の無い人々の能力や思考こそ、大きくなって将来の幸福をもたらす可能性があるのですが。しかし、この国では未来の可能性は「アバウト」という、ただ一つのカテゴリーに分類されます。形あるものばかりに国費を費やすと、財政破綻の確率が上昇するという予測も、「アバウト」のカテゴリーの中では変わりありません。確率がいかに上昇しても同じカテゴリー内にとどまるからです。何という都合の良いシステムではありませんか。

将来の事を考えた場合、この国が心配でなりません。しかし、その心配は無用です。将来はどうであれ、現在、この国に住むことは清々しく、心地良いことだからです。将来の心配も無用です。所詮、これは架空の国の話しであり、現実の話をしているのではないからです。

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