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第95号 ウィーナーとネイマンに見る情報の価値

前回の理事長通信ではチューリングの映画と戦艦武蔵発見を題材に、日本軍と連合軍で情報の認識能力が大きく異なっていたことを話題にしました。暗号は典型的な情報です。暗号、およびその解読を英国は極めて重視していましたが、日本軍は目に見える巨大な軍艦に象徴される「モノ」のみを重視する傾向にあったという対比です。英国の歴史家は、暗号解読は戦争終結を2年早め、1400万人の命を救ったと推定しています。

暗号解読以外にも戦争に関連して情報が関与する分野があります。それを代表する2人の数学者がいます。ウィーナーとネイマンです。チューリングの軍における業績は50年の間、極秘とされていたといいます。ウィーナーとネイマンの業績も秘密にされている部分が多いかもしれません。しかし、我々は彼らの科学界における発表内容から、秘密である第二次世界大戦における貢献を類推することは十分可能です。

ウィーナーはフィードバックと自動制御のサイバネティクスの創始者です。おそらく、爆撃や魚雷を含む射撃制御や船と航空機の制御システムの開発に携わっていたのではないでしょうか。米軍の砲弾、爆弾、魚雷の命中率が開戦時は劣悪だったのに、その後急速に改善したのなら、それはウィーナーの功績ではないでしょうか。グラマンの機手が新米で下手くそなのに何故かゼロ戦のベテランも苦戦するようになったとすると、ウィーナーのせいの可能性があります。戦艦大和と武蔵が大きな成果をあげられず撃沈させられた影にも、暗号解読とともにウィーナーによる航空機と魚雷制御の情報技術が貢献していた可能性があります。重要な事は、暗号解読にしろ機械制御理論にしろ、モノとして見ることができず、敵国には認識できないということです。何か不思議な力により敗れたと感じるでしょう。

モノの認識力が主体の日本軍は、物理と工学を駆使して軌道計算で弾丸の命中率を高める努力に集中するでしょう。連合軍は情報学を考慮した制御理論を重視するでしょう。そのため、ゼロ戦の操作をマスターするには職人芸が必要ですが、グラマンは素人でも短時間の訓練で操作可能になるでしょう。グラマンの操縦士には技術も気概も無いと日本軍は馬鹿にしたかもしれませんが、機械制御理論がそれを補って余りあることに気づかなかったでしょうか。巨艦巨砲は日本の技術でないと作れないと思っていたかもしれませんが、戦艦の位置が暗号によってつつぬけになっていたことに日本軍は気づかなかったでしょうか。

ネイマンは統計学者です。現在我々が用いている検定理論(対立仮説を設定しない理論はフィッシャーによる)、区間推定理論はネイマンによるものです。日本軍の兵器や食料などの物質輸送が滞りがちなのに、米軍ではそのようなことが少なかったとしたら、それはネイマンの貢献が大きいでしょう。日本軍が5日以内に何が何でも作戦に必要な物資を揃えろ、と無茶苦茶な命令を出すと同じ状況で、ネイマンは5日以内に作戦に必要な物資が揃う確率は5%であり、何日までに揃うかと言うと95%信頼区間で5-11日と答えるでしょう。どちらの作戦の成功確率が高いかは明らかです。

第二次世界大戦の占領軍司令官マッカーサーは日本人の知的年齢は12歳だと言ったそうです。これは日本が戦争を始めた理由について、民主主義的意思決定システムが未成熟だったためと日本を擁護する目的で指摘した文脈の中でのことばのようです。しかし、おそらく戦争を通じて知った日本軍の情報認識、合理的意思決定能力の不足がマッカーサーの頭のなかにあったと私は思います。日本人の知能全体が低いわけではありません。データと情報を区別し、情報を認識するという部分が未成熟で、それは教育により改善できます。情報認識能力については確かにマッカーサーの指摘が当たってないとも言えないと思うのです。

連合軍は暗号解読により日本軍の作戦の多くを知っていた可能性があります。野中郁次郎他による日本軍の組織的研究書「失敗の本質」に書かれている作戦内容を暗号解読で米軍が知っていたとすると、不合理な行動を繰り返す日本軍の思考が理解できず、合理的思考が不得意な中学生程度と判断したのかもしれません。情報の認識を欠いた状態で意思決定を行うと「直感と情緒」に基づかざるを得ないからです。上記の本の中でも、極端な使命感を持った熱血将校が重大な戦略決定をリードしていく例が繰り返し述べられています。

これからの日本の方向を決定付けることを国民に委託された政治家たちは、戦前の政治家や日本軍の問題行動をよく認識し、幅広く信頼できる情報を基に理性的な判断を行うように願いたいものです。ゆめゆめ偏った情報だけを見て「直感と情緒」に基づく軽はずみな思考と行動を慎むよう願いたいものです。それは時として、多くの国民やマスメディアにとって心地よく、短期的には日本社会に幸福感をもたらす可能性があるから危険なのです。

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