医学の地平線
第89号 分子生物学と疫学統計学の戦争
実はわたしは8年前に編集者に依頼され、次の論文を化学の雑誌に発表して物議をかもしたことがあります。
「分子生物学と疫学統計学の戦争が始まる。現代化学、2006年2月」
当時、日本で医学生物学の分野で最も隆盛を誇っていた「分子生物学」とは異なる分野「疫学統計学」が今後隆盛となり、その二つの分野で「抗争」が起きるであろうという内容です。
私の最初の論文に対し、匿名の読者の怒りに満ちた反論が次の号に掲載されました。「分子生物学は戦争しない」というタイトルです。それに対する私の反論も同時に掲載していただきました。「戦争」と表現した理由は、その二つの分野の考え方があまりに相反するからです。相反するとわかった理由は、私はもともと分子遺伝学が専門であり、しかも臨床統計学も専門としていたため、両方の考え方が理解できたからです。私に対し分子生物学のかたが「匿名」で反論された理由は、おそらく「疫学統計学」を深くご存じないからだと思います。私は編集者に連続的な討論を提案したのですが、残念ながら却下されました。
最近、次の本を読みました。
津田敏秀「医学的根拠とは何か」(岩波新書 2013年)
これはまた、大変勇ましい「疫学統計学」の旗手が現れたものです。この著者は、匿名の分子生物学者が私に怒ったと同じくらいの激しさで、分子生物学などメカニズムを重視する医学研究者に対し怒っています。医学的根拠には、直感、メカニズム、数量化があり、数量化のみが真の医学の根拠である、という強い主張です。
著者の怒りは誠にごもっともです。我が意を得たり、という気持ちでもあります。日本社会や、日本の医師、研究者のほとんどが疫学統計学の思考方法が理解出来ず、そのため世界から取り残されて行きつつあるのは事実だからです。世界の有力雑誌に掲載された日本の基礎医学研究論文数が4位、臨床研究論文数が25位という事実が如実にこれを物語っています。例を出して申し訳ないが、中国、インドはおろか、あのアルゼンチン、オーストリアより少ないという惨状です。創薬の停滞もこれに関係しています。少数例からの直感、分子的作用メカニズムが重視され、結局は数量化で評価されるグローバルの承認基準を満たさないのです。
しかし、これを改善するのは並大抵のことでありません。日本社会が著者の望む方向に進まないのには、深い深い理由があると私は考えています。ただ、ダメだダメだと言うだけでは改善しないと思います。
この著者をサポートしたいが故に、コメントしたい事がいくつかあります。まず、医学のいかなる場合にもメカニズム派がダメだということはありません。たとえば、遺伝病の場合はメカニズムがほとんどを解決します。がんの場合も、家族性がんの場合はメカニズムが最も大切です。少数例のデータの直感的解釈で十分なこともしばしばです。こういう細かい所も認めないとメカニズム派の激しい反論を受けるでしょう。また、メカニズム派がいないと新薬開発などの新しい医学的発展はあり得ません。数量化だけで、新薬の新しいシーズは出ません。もちろん、メカニズム派的な見方だけで、数量化的な見方に支持されない創薬はほとんどが失敗しますが。
次に、日本社会がすべての数量化について遅れているわけではないことも指摘しておきます。日本でも数量化が得意な分野もあります。物理の分野です。日本社会はモノの数量化は得意ですが、生き物の数量化が不得意なのです。それは前者が「確実性と均一性」を特徴としているのに比較して、後者が「不確実性と多様性」を得意としているからです。前者に必要な数学、微分積分の適用は、日本人は得意なのです。後者に必要な確率統計学が不得意なのです。物理の取り扱う数量は、時間にしても空間にしても変数の値が並んでいます。しかし、疫学の取り扱う数量は、変数の値が並んでいません。このような対象を把握するには「集合と要素」「変数と値」「量と質」を区別することが不可欠ですが、そのような認識構造、分析構造が日本人の思考の中で構成されていないのです。この問題が日本語に反映されていることは繰り返し述べてきました。この部分を指摘し、改善しない限り、日本社会が直感派とメカニズム派により牛耳られる構造は変化しないでしょう。
私はこの著者の活動を支持します。他の科学分野をどんどん批判しましょう。批判された分野は、反論しましょう。「反論しない」といって自分の分野に閉じこもることは科学全体の発展に有害です。異分野間の議論に勝つためには広い分野の知識と技能が必要です。日本の科学界は自分の領域に閉じこもりすぎです。知識や技能の範囲が狭すぎる。自分の分野のみに興味を集中する「職人気質」の反映かもしれません。もっともっと、領域を超えた激論を始めましょう。科学的他流試合、科学的道場破りを大歓迎するような科学界になってほしいものです。