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第87号 「失敗の本質」の本質

1984年、ダイヤモンド社により出版され、長く読み継がれている「失敗の本質」という本を読みました。経営学や組織論を専門とする野中郁次郎氏に、戦史を専門とする複数の著者の共同作業として発表された書籍です。最近も野中郁次郎氏他は「失敗の本質:戦場のリーダーシップ編」という続編とも言える本を出版し、東日本大地震による原発事故に対する対応が、戦争における日本軍の対応と同様の問題を含むと主張しています。「失敗の本質」では、著者たちはノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦の日本軍の作戦を詳細に分析し、勝利という目的を達成するためには極めて不合理な行動原理により日本軍は敗れたと主張しています。

日本軍の中では「人間関係を過度に重視する情緒主義」が蔓延し、「組織に必要な論理的合理性と効率性が欠如」していたと言うのです。そして、「情報の軽視、情報フィードバックの欠如」が見られ、「長期的展望を欠いた短期志向の戦略展開」に終始していたと言います。このような戦略は「不確実性が相対的に低く安定した状況の下では比較的有効に機能していたが、不確実性が増加し不安定な状況では全く機能しなかった」と言います。戦争とはまさに不確実性が最大に近くなるので、日本軍の組織は機能しなかったと言うのです。長期的展望を欠くため「強烈な使命感を抱く個人を上司が抑制することが困難なシステム」のため、中堅の強烈な個性をもつ少数の(多くの場合一人の)熱血漢により全体が引きずられる傾向が顕著だと述べています。

私は、この本に書かれている戦史についてその真偽を判断する知識は持っていません。しかし、著者らの記述が概ね正しいとすると、著者らの指摘する「日本軍の組織的欠陥」は全くそのとおりだと思うのです。

しかし、これらの日本軍の行動様式は閉鎖的な日本国内では実は最適化された行動様式なのだと思います。そのため、著者の言う「合理的行動様式」を取ることは国内の日常生活では多くの場合不利となる可能性が高いと思います。そのため、現在日本でこのような「合理的行動様式」を取ることをすべての人々に勧めることはできないのではないでしょうか。

更に、このような「合理的行動様式」を日本人が選択することは能力的にそれほど容易では無いと思います。著者の言う合理は「不確実性が増加した環境での合理的行動」です。確実性(と均一性)の条件下での「合理」の判定は容易なはずです。しかし、不確実性(と多様性)の条件下での「合理」の判定は容易ではありません。ある行為をして、「こうなるに決まっていれば」あるいは「すべての場合こうなるならば」、その行為の合理、不合理は判定可能です。しかし、ある行為をして「こうなるとは決まっていない場合」あるいは「行う人により結果が異なる場合」、その行為の合理、不合理は判定が難しいはずです。それは、その行為を行った場合、それぞれの結果になる「確率」の概念なしに、合理、不合理の判定は困難なはずです。確実性の下での合理性と、不確実性の下での合理性は違うのです。

もちろん、不確実性と多様性の条件下で、行為の合理不合理を判定することは、世界中の誰にでも難しいのですが、日本人の場合、特にその能力が欠けている可能性があります。それは、「不確実性と多様性」の条件のもとに対象物を認識し、合理的判断を行うための枠組み(framework)ができにくいからです。その原因が、日本語に「単数複数の区別」「不定冠詞と定冠詞の区別」「質的名詞と量的名詞の区別」が無いことによる「集合と要素」「変数と値」「質的対象物と量的対象物」の区別が難しいことに関係していると考えています(https://www.tufu.or.jp/bbs/2014/859.html)。このような区別の概念なしに「確率」の概念を理解することは難しいからです。

わかり易い例では戦艦大和、戦艦武蔵があります。偉大な巨艦と巨砲はわかりやすいが、暗号解読はわかりやすいとは言えません。大和や武蔵の存在は誰も疑いませんが、暗号解読による情報の真偽は不確実性を持ちます。しかし、情報が正しければ、そこに攻撃を集中し、一挙に巨艦を沈没させることができます。暗号解読法が正しいかどうかが確率という概念に完全に依存していることは言うまでもありません。

我々は不確実性の下で対象物を認識し、合理的判断を下す能力が欠けているために、情報の重要性は認識しにくく、巨艦と巨砲を過大評価しがちなのです。情報の認識能力に問題が有るため、「モノ」のみを偏重する傾向は、日本社会の至るところに見られます。

このように不確実性の下で合理的判断を行いにくいという問題は、閉鎖的な日本社会の中では大きな障害とはなりません。むしろそちらのほうが有利とも言えます。しかし、国際的な競争には負けてしまいます。不確実性の下で合理的判断ができないと「直感と情緒」しか判断基準が無いからです。直感と情緒に支配された日本軍が敗れることは戦う前から自明のことだったでしょう。

このような日本社会の問題点は、ただただ「合理的判断を行え」と主張するだけでは解消しないと思います。「失敗の本質」の本質を深く認識することで修正可能だと考えます。是非、このような「不確実性と多様性の下で合理的判断を行う技術」を今後、教育の中心に置いてほしいものです。しかし、「直感と情緒」で判断する戦略が実は閉鎖的な日本社会では有利である事も認識すべきです。私は、この二つの戦略の使い分けることが現実的な戦略だと思います。前者は「深刻な問題」に対し、後者は「それほど深刻ではない問題」に対し有効です。例は、前者は戦争や医療、後者は娯楽や恋愛です。

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