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第35号 Contingency tableは分割表では無い

英国エコノミスト編集部による「2050年の世界」という、約40年後を予測する本が話題になっている。日本で最も注目されているのは以下の記述である。「2010年に全世界GDPの5.8%を占めた日本のGDPは、2050年には1.9%になる 。日本の一人当たりGDPは米国や韓国の半分になる 」。確かに、現在の傾向が継続し、日本が何の対策も取らなければそうなるかもしれない。どのような対策が可能であろうか。

私が注目するのは同書の次の予測である。「次なる科学は生物学である。化学は知的学問として枯渇した。物理学にも期待は持てない 。」この記述は化学、物理学を専攻する研究者にとってはショックであろうが、私は真実の可能性が高いと思う。物理学や化学は生物学に比べれば詳細な観察が比較的容易であり、複雑怪奇な生物に比較すれば洗練された科学的分析が早くからなされてきたからである。

洗練された科学者からは長らく生物学は科学の範疇に入らないと考えられてきた。物理学を専攻する人々から見れば、確かに生物学は違った印象を与える分野である。数学が不可欠の分野が科学であるという定義を採用すれば、確かに生物学は科学で無かったかもしれない。分子の構造など、物理学と化学でカバーできる範囲を除いてはこれまでの科学とは異なった様相を呈する。しかし、生物学に数学が適用しにくかった理由は、生物の特徴である不確実性と多様性のためである。不確実性と多様性に対処するためには、確実と均一の現象に対処する数学である微分積分学とは異なった数学を用いる必要がある。即ち確率統計学である。生物学を科学では無いと定義した科学者は、微分積分学、群論などの数学を重視するので生物が科学により取り扱えるとは思わなかったのであろう。彼らは「生物学は我々が取り扱う事の出来る科学では無い」と言うべきであった。

人間も生物であり、人間が関与する多くの対象物を科学的に取り扱うためにも確率統計学が不可欠である。産業から見てもICTや健康、医療産業のためには確率統計学が必要である。それは相手が人間であり、それぞれの身体、考え、要求が多様だからである。もの作りであるとされる電機、電子産業はこのような多様性は少ない。しかし、実はものづくりであっても、消費者側の要求にこたえる必要があり、戦略や販売の面で確率統計学が必要なのである。数十年前までは、世界的に物が不足しており、良い物さえ作れば確かに売れたので、相手方の変化や多様性を考える必要性は大きくは無かった。そのため、日本では、ものに関する技術のみを重視する傾向があり、「良い物を作れば必ず売れる」と考える傾向がある。これが日本の製造業の大きな問題であるという指摘もある。

日本の科学者の間でも確率統計学が盛んでないとは言えない。しかし、数理的な面に偏ることが多く、現実世界に応用するところで躓く事が多いのが特徴である。その理由が、集合と、変数、離散と連続などの概念が欧米ほど現実に適用できる形で理解されていない事にあると考えられる。

日本の科学は還元主義に陥りがちである。その理由は、一つ一つの対象物のみを取り扱う傾向が強く、複数の対象物の関係を取り扱う事が苦手だからである。複数の対象物を取り扱うためには集合の概念が不可欠である。集合を定義できれば、複数の対象物の関係を客観的に、数学的に取り扱う事ができる。

日本では複数の対象物間の類似性を根拠に集合を作るより、全体を分割する傾向が強い。集団を分ける場合、トップダウンで分割していく方法である。しかし、欧米では個人から出発して特定の性質により集合を定義する傾向が強い。そして、複数の集合の関連を調べる。例えば、二つの離散の変数について2 x 2の表を作る事が可能である。日本では、これを「分割表」と呼ぶが、英語ではcontingency tableと呼ぶ。日本人は「分割する」という概念には慣れているが「集合を定義する」という概念には慣れていない。当然のことながら、標本が得られた過程を考えれば「分割されて」得られたものではない。そのような概念からは集合の間の関係という感覚は得られにくい。私はcontingency tableを「偶現表」と呼ぶ事を提唱している。個々の対象物の類似性から集合を定義し、その集合の要素に変数を定義したうえで分析を進める必要がある。日本では、この対象物に変数を与えると言う感覚が育ちにくい。

日本では集合の概念が理解されにくいため、個々の対象物から「お話し」を作る傾向がある。お話しの妥当性の判断は、直感、情緒、好み、利害、である。お話しは客観的、数理的な解析になじまないからである。生物学では分子が重視され、分子の関連や意味付けを「お話し」により行う傾向が強い。分子の発見は既に底をつきつつあり、これからは分子の間の関係を客観的に、数理的に行う必要があり、そのためには集合の概念を現実の対象物を用いて構築する必要がある。

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