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第25号 不確実性と多様性にどう対処するか(1)

日本が現在抱える大きな問題の多くに不確実性と多様性の問題が関係しているように思われる。不確実の反対は確実である。直感的にはわかりやすい違いであるが、よく考えるとそれほど簡単ではない。不確実性の問題は掘り下げて考える必要がある。

一般的に過程には、確実な過程と不確実な過程がある。前者は可能性のある結果が1つしかない場合、後者は可能性のある結果が複数ある場合を言う。例えば候補者が一人の選挙の結果は1つであり、候補者が二人以上いる場合の選挙の場合、可能性のある結果は複数である。従って、候補者が一人の選挙は確実な過程であり、二人以上の選挙は不確実な過程である。ここで、日本語では1つか複数かを区別できないが、英語では1つか複数かを区別する事に注意したい。しかも、英語では名詞には数えられる名詞(可算名詞)と数えられない名詞(不可算名詞)の区別があるが、日本語には無い。不確実な過程であっても結果の数が数えられる場合(有限)と数えられない場合(無限)があるが、日本語では区別しにくい場合がある。実は無限にも2種類がるがここではふれない事にする。

確実性と均一性、不確実性と多様性は表裏の関係にある。確実な過程を繰り返すと均一な結果が得られ、不確実な過程を繰り返すと多様な結果が得られる。候補者が一人の選挙を繰り返しても結果はいつも同じであるが、候補者が二人以上の場合には、その時々で結果は異なる可能性がある。コンピュータとロボットを駆使した製造過程では、物事を確実に進める事が可能であり、それを繰り返してできた製品は均一である。人間が好みや趣味を形成する過程は不確実であり、従ってその結果、多くの人々は多様な好みや趣味を持つ。

確実性が保証される場合は人々の精神は安定である。しかし、不確実性が顕わになると人々は不安に陥る。ある過程の結果により自分が大きな影響を受ける場合は特にそうである。例えば自分の血液により癌の検査を行った後の不安を考えればわかるはずである。ただし、不確実性の中でも一つの結果の確率が高ければ不安は小さくなる。例えば、二人以上の候補者がいる選挙でも、どちらも有力な候補であれば二人の不安は大きいが、片方が圧倒的に有力であれば不安は小さい。負ける方の候補は不安を持つのではなく、落胆するだけである。癌の検査の場合も、色々な情報から自分の癌の検査が陽性である確率が極めて小さければ、検査の結果が出る前の不安も大きくは無い。

このように、不確実な過程においては確率がわかることが望ましい。しかし、確率はそれほど理解が容易な概念では無い。また、確率を正確に求める事も容易ではない。それにもかかわらず、確率の概念なしには不確実性に対処する事はできない。現在は情報化社会であり、情報の数は爆発的に増えている。これを拒否して生きていく事は難しい。それらの情報の中には自分の将来に関係するものがかなり存在する。例えば、天災、人災、病気、就職、資産、等々は自分の将来に関係する可能性がある。このように、情報が増えればリスクの数が増える。これからもリスクの数は益々増えるであろう。人々はリスクの数に圧倒され、不安は益々高まる。しかし、情報が増えてリスクの数は増えるが、実はリスクの量は増えていない。それらのリスクはもともと存在した物であり、情報不足によりそれらに気付かなかっただけなのである。

情報によりリスクの数は増えるが、そのリスクが起きる確率はもともと決まっているのであり、増えていない。むしろ、リスクの存在を知り、減らす事さえ可能な場合がある。これからの情報化社会ではリスクの数は益々増える。数だけ数えると不安は増大する。しかし、リスクの量(確率)は増えていない。確率の概念なしにリスクの数だけを数える事はやめたほうがよい。だからといって、情報を遮断する事は不可能であり、また賢い生き方でも無い。その情報を用いてリスクを減らしたり、利益を増加させたりすることができるからである。

世界の中で情報の量が爆発的に増えている中で、日本はそれに対処する技術で遅れを取っている。情報が増える事により不確実性が明らかになっている。その不確実性に対処する手法の中心に、確率という概念がある。その正しい理解を社会や、医療、産業、更には政治的意思決定に広げる事が、日本の今の閉塞感を打破するきっかけになると考える。

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