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医学の地平線

第16号 医学は理科系か文科系か?

医学は理科系か文科系かという議論は良く聞く。私の友人の医師の中にも、自分は文科系が得意だから医学の方向に進んだと言う人も多い。しかし、一般には医学部は理科系に分類されている。

ここでいう文科系、理科系という分類には、数学が使われるかどうかという事が大きく作用しているようである。先ほどの友人たちも、自分は数学が嫌いだから医学部を目指した、という人が多い。文科系と言われる分野でも、例えば経済学などでは数学が頻繁に使われる。だから経済学はもはや文科系では無いと言う意見もある。

文科系、理科系の分類には人間の存在と言う要素も大きく作用している。文科系の学問分野には原則として人間が関与する。歴史は人間の創造物であり、文学や言語はもちろんの事である。地理には人間以外の関与もあるが、産業や人口など、ほとんどの場合は人間が関係するものである。全く人間が関与しない地理の分野は、地学と言う理科系の分野に分類されるであろう。理科系の対象物は人間以外の物質であり、この点で文科系と区別できる。ところがこの点でも医学は例外である。生物学は微妙なところで、この分野は人間を対象とするとは限らないので理科系に入れても良いようにも思えるし、やはり数学があまり使われない事を考えると分類は困難なようにも思える。

まとめると、理科系では人間以外を対象とする事が多く、文科系では人間やそれに関係するものを対象とする事が多い。理科系では数学を用いる事が多く、文科系では数学を用いない事が多い。

しかし、そのいずれの点でも微妙な分野が医学である。医学ではもちろん人間が研究対象である。また、数学を使う場面も多いとは言えない。従って、文科系に分類されても良いように思われるが、一般に大学入試でも理科系に分類されている(私が入学した東京大学では理科III類と言っていた)。

私の現在の専門分野は数学の医学への応用である。実は、医学においては(生物学全般において)数学が使いにくい。物理学や化学のような美しい数学の応用場面はなかなか出てこないのである。数学なしの物理学や化学は、想像だにできないが、医学には数学が絶対に必要ではない。同じ理科系でも、なぜこのような違いが出てくるのであろうか。

この事に付いて参考になるのが、初期の内科の教科書「Principle and Practice of Medicine」の著者、William Osler (1849-1919)による次のような指摘である。 “Medicine is a Science of Uncertainty and an Art of Probability” 一般に科学は客観性を重視する。同じ条件だと同じ事が起こらないと、科学的客観性は確認できない。つまり、結果の再現性が必要である。しかし、Oslerの言うように、Uncertainty(不確実性)が医学に本質的な物であれば、結果の再現性は保証されない。全く同じ事を行っても結果がその時々で異なれば、再現性は無く客観的な考察は不可能である。

Oslerは医学におけるUncertaintyの原因は人々の多様性にあるという。個人個人が異なるので、同じ結果を異なった患者に期待する事は出来ないと言う。この対象間の多様性と結果の不確実性が人間を対象とする分野に不可欠な特徴であり、数学が適用できない理由である。物理や化学においては決定論的過程、即ち、結果の確実性が(それを支配する法則が解明されているかいないかにかかわらず)前提である(もっとも素粒子の世界では不確実性が問題となるが)。

しかし、医学にも数学を応用したい。数学を応用できないとすると、文章による議論が中心となる。文章による議論では量的な対象を取り扱いにくい。質的な対象のみに関する議論のみでは、その真偽の判定が困難である事が多い。例えば、薬Aは疾患Bに有効である、と言う記述は厳密には正しくない。ある患者には有効だが、別の患者には無効である事がほとんどである。そうすると、薬Aは疾患Bの89%の患者に有効であると記述されるべきである。

人間が関係する結果の不確実性を数学的に取り扱う事は可能である。それは結果の再現性ではなく、特定の結果の割合の再現性を重視する事により可能である。例えば、前述の例では薬Aが効くか効かないかと言う結果の再現性を問題にするのではなく、89%効くと言う割合の再現性を問題にするのである。特定の結果の割合は常に同じではないが、多数の結果を集める事により割合は一定となる傾向がある。この傾向を大数の法則と言う。そして、結果を無限に集めた場合の特定の結果の割合を「確率(Probability)」という。Oslerの前述のことばは、「医学の取り扱うさまざまな出来事は不確実だが、確率を根拠に科学となり得る」、という意味に捉える事ができるのでは無いだろうか。

しかし、実は大数の法則は常に成り立つわけではない。生命において大数の法則が成り立つのは特殊な場合である。私はすべての試行を3つのクラスに分類している。第一のクラスΨ0は結果が一つしかない試行である。即ち、確実な試行である。物理学や化学で取り扱うほとんどの試行はΨ0に属する。Ψ0に属する試行クラスでは数学が極めて大きな威力を発揮する。物質やエネルギーに関連する試行のほとんどがΨ0に属する。生物の属する試行クラスはほとんどがΨ1またはΨ2に属する。どちらも不確実な試行だが、Ψ1は大数の法則が成り立つ試行である。Ψ2は大数の法則が成り立たない不確実な試行である。

メンデルの法則など、生物を支配する法則に関連する試行のほとんどはΨ1に属する。これはゲノムの多様性に関係する試行のみが特別の法則でコントロールされているためである。生物では世代を超えて伝わる情報はゲノム情報のみである。ゲノム以外の分子や細胞、更には臓器や人体に関する情報は、実は次の世代に伝わらない。生物におけるゲノム以外の個人ごとに異なる情報を表現型という。表現型は分子、細胞、臓器、人体に関して個人ごとに異なる性質である。

世代を超えたゲノム多様性の情報間の関係を記載する法則がメンデルの分離の法則、独立の法則である。世代を超えたゲノム多様性に関係する試行はΨ1に属する。更には同じ世代のゲノム多様性と表現型多様性の関連もΨ1に属する(つまり優劣の法則)。これは、表現型多様性の情報は直接世代を超えて伝わる事は無いが、ゲノムと表現型の多様性との関連が世代を超えて伝わるためである。

しかし、ゲノム多様性ではない試行はΨ2に属する事が多い。即ち、なかなか数学が使えない。人間が関係する心理学、経済学などの分野では数学でモデルを立てる事はできるものの、それによる結果の予測は困難である。これは、ゲノムに関係する試行について数学的予測が極めて有効であることと対比される。例えば、膨大なゲノム情報からメンデル型形質の遺伝子の場所を予測する連鎖解析では、ほとんど予測が外れる事は無い。

物質を支配する物理学や化学と、生物や人間を支配する生物学や医学で使われる数学はかなり性質が異なる。日本では生物や人間も物質の法則のみで解明しようとする方向性が強いが、それだけで医療等に貢献できる成果が生み出せるわけではないと思う。

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