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医学の地平線

第19号 個人のリスクと集団のリスク

福島第一原発の事故による放射線障害のニュースが日本中を不安に陥れています。水道水が放射性ヨウ素により汚染されていると言います。従って、乳児は水道水を摂取しない方が良いという発表がなされています。しかし、これだけの放射性物質の摂取では健康上の障害はないと言う説明がなされています。

福島県産の野菜についても同じす。国は、これらの野菜は一部放射性物質で汚染されているので、食べる事を控える事を勧めると言っています。しかし、この程度の野菜を摂取しても健康上害はないと言います。

それでは、何故健康上問題の無いのに、食べるのを控える事を勧めるのでしょうか。これでは、国民の不信を招くのではないでしょうか。

私は、「この程度の食物を摂取しても健康上害はない」という表現は適当ではないと考えています。害がある可能性があるが、その程度が極めて低いと言う表現が正しいと思います。健康上害が無い、と強調する事でかえって人々の不安を増さないか心配です。

そして、これは重要な事ですが、個人のリスクと集団のリスクは全く違うのです。何故なら、個人のリスクは「確率」ですが、集団のリスクは「割合」だからです。極めて低い確率の出来事は、「ほとんど必ず起きませんが」、極めて低い割合の出来事は、「ほとんど必ず起きる」からです。例えば、1%の確率で起きる出来事があるとします。個人にとってはその出来事はほとんど必ず起きません(起きない可能性が99%)が、1000人の集団において、その出来事はほとんど必ず起きます(1人以上の可能性が99.99%以上、4人以上の可能性が95%以上)。

従って、極めて低いリスクの場合、個人としては不安に陥る必要はありませんが、集団としては制限を行った方が良いと言う事は事実です。例えば、水道水や野菜はわずかに放射性物質で汚染されているので、集団としては摂取制限をするが、個人のリスクとしてはほとんど心配ないと言うのは事実です。この確率と割合の違いは、なかなか理解が難しいものです。一般の人々やマスコミがこれを理解できないとしても、少なくとも科学者には理解してほしいものです。

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