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2014年05月20日

第71号 福島で鼻血?

漫画で取り上げられたことをきっかけに、福島で鼻血が多い可能性が指摘されています。それが、放射線による可能性も議論されています。人間の健康や命に関するリスクはセンセーションを巻き起こしやすいものです。それによって、いわゆる「風評被害」が起きるという可能性もあります。リスクに曝されている人々を不安に陥れる可能性もあります。だからといって、そのリスクが本当であれば、それを隠すことも問題と考えられます。大変な問題が解決されずに放置されることになりかねません。これと似た問題は最近、非常に多く出現しています。「特定の要因が人間の健康へのリスクとなるか」という問題です。

こういう場合、日本では科学者が「リスクはない」と全面的に否定しがちです。その理由はよく理解出来ます。日本社会は確率の理解が薄く、情報を0%か100%で捉える傾向があるので、「ゼロ」と言わないと100%とみなしがちだからです。少しでも認めると、私も私もとパニックを引き起こす可能性があるので、とりあえず完全に肯定できないことは否定しておこうという傾向もないと言えません。しかし、ほとんどの場合、可能性がゼロということは無いでしょう。社会やマスコミは最近、このような科学者の態度を信用しなくなっています。本当は確実な根拠が無いのに、政府や企業の側に立ってそう言っていると疑っています。現実には「ゼロ」という根拠があると科学者本人が思っているにしても、それは個人の直感や情緒に基づくものではないでしょうか。

その後、小泉進次郎議員による「自分は度々福島に行くけど、鼻血も出ないし元気もでる」という証言も発表さました。これは「福島に行ったら鼻血が出た」と同じレベルの体験談ですが、片方だけではなく両方の体験談が発表されるのは良いことだと思います。

しかし、一人の体験談は漫画の登場人物と小泉議員との違いに見られるように異なります。一人一人に聞いても結論は出ません。従って、この種の問題については複数の人々のデータを調べる必要があります。福島での調査によると、確かに福島の特定の場所の住人の鼻血の頻度は多かったそうです。しかもその差は統計的に有意だったそうです。しかし、これとは別に、小児科医の山田先生によりアンケートのデータが示されました。福岡の子供の方が福島の子供より鼻血の頻度が高かったといいます。

更に、体験談や統計データとは全く異なる方面からの根拠も提出されています。実験の結果、放射線が毛細血管を傷つける可能性があるといいます。このような実験は、マウスなどの動物によることもあるし、人間の細胞や組織を使ったものであることもあります。これに対しては、マウスと人間は違うという意見や、福島で観察される放射線の量では毛細血管を傷つける可能性は考えられないという意見があります。更には、生物学の実験結果は再現されないことも多く、本当に正しいかどうかはわからないという意見もあります。色々な方面から様々な意見が出て、社会は益々混乱し、マスコミは益々喜ぶという結果になります。

ここで論点の整理が必要です。いったい何が根本的な問題なのでしょうか。もっとも重要な問題は「私が放射線に当たったら鼻血がでるかどうか」というものではありません。もちろん、それは大切ですが、もともと鼻血は誰でも出る可能性があるものです。本当に重要な問題は「放射線に当たったから鼻血が出た」という放射線と鼻血の間の因果関係です。この「因果」は極めて大切な概念であるにもかかわらず、日本社会では曖昧にされることが多いというのは繰り返し述べているとおりです。しかも、モノの場合と違って、人間を始め生物に関して、因果は極めて困難な問題を含みます。因果と似て非なる概念として「関連」があります。「放射線に当たったら鼻血が出た」というのは関連です。「当たったから」と「当たったら」の間にはことばとしてはわずかの違いしかありません。前者には「か」が入っていますが、後者にはありません。しかし内容の重さに関しては「月とすっぽん」の違いです。放射線と鼻血の間に因果関係があれば大問題ですが、因果関係がなく単に関連があるだけなら重要性は小さくなります。例えば、福島の特定の場所に住む人が花粉症になりやすく、放射線に関係なく鼻血が出やすいというような場合です。それでも、放射線と花粉症がたまたま同じ地域に多ければ、関連は容易に出ます。

それでは今度は、前記の重要な問題の真偽をどのように決めるかという手法について考えましょう。問題を解決するための手段もいくつかに分けられます。「私は放射線の少し多い場所に行ったら鼻血を体験した、あるいは体験しなかった」というのは体験談です。漫画の作者やどこかの元町長、あるいは小泉進次郎議員の言われることはこの体験談に分類されるでしょう。体験談は、一人のこともあるが、少数の体験談のことも有るでしょう。次の証拠は実験結果です。放射線をあてたら毛細血管に傷がついた、いやつかなかったというのは実験結果です。

しかし、体験談や実験結果を問題解決の手段とするのは人間が対象の場合なかなか困難です。体験談の場合、生物に特徴的な不確実性と多様性が問題です。一人の人の体験が、そのまま他の人に通用するという保証はありません。実験結果の場合は、人間そのもので実験ができないことが問題です。人間に放射線をかける実験など永遠にできるわけがありません。そこで細胞や組織で実験を行いますが、その結果が本当に人間の体内で起きる保証はありません。人間ではない生物での実験結果が人間に応用できないことは言うまでもありません。

従ってこの様な問題の解決は多数の人々のデータを数学的に解析する統計学という方法に頼らざるを得ないと考えられています。しかし、統計学も万能ではありません。統計学には二つの大きな問題があります。統計学の第一の問題点は、関連は決められるが因果が決められないと言うことです。統計学でも因果と関連を区別するための試みがなされています。例えば、前述のように、鼻血が実は花粉症によるものではないかという疑いがある場合、花粉症の情報を含んだ多変量解析という方法で詳細な検討を行います。しかし基本的に統計学で因果と関連を区別することは難しいと言えます。例えば放射線の量と鼻血の頻度に統計的な関連が認められたとしても、それが因果関係であるとは言えません。

生物学で因果を確実に判断できるのはゲノム情報に関するものです。ゲノム情報はどのような表現型情報からも影響を受けないからです。ゲノム情報以外の情報は、他の要因から影響を受ける可能性があります。従って、二つの要因の間にたとえ関連があってもそれが因果の関係とは言えないのです。

統計学の第二の問題点は、100%正しいとは言えないことです。「間違っていても5%の確率で正しいという結論が出る。それを前提にするとこれは正しいと判断する」というのが統計的検定でわかる結論です。我々は人間に関する多くの重要な問題の真偽を100%決定することはできないのです。それなのに社会が100%を要求するとどうなるでしょう。それは「うそ」を言うか、「隠す」しかないでしょう。うそも隠すのもいけないとすると、科学者はどう対処すればいいでしょう。「確率」を示すしかありません。それが統計学的手法なのです。

科学者集団は社会に科学の不完全性を辛抱強く訴えるべきだと思います。すぐに結論を出せとせまるマスコミや社会に、根負けせず説明を続けるべきです。「対象が人間の場合、要因が健康のリスクになるかどうかを100%の正確さで断定することはほとんどの場合できません」という宣言です。研究をいくら続けても100%の結論は出ない可能性が高いのです。しかし「できません、わかりません」では何の役にもたちません。そのため「確率」という概念が必要なのです。確率は研究を続けるに連れ次第に改善されます(検定の誤判定の確率は減少、推定の確率は正確に)。しかし、残念ながら「確率」の概念の把握は社会、マスコミはもちろん、科学者集団でも十分ではないと思います。これから、その教育に全力を上げるべきです。


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