HOME » 理事長通信 » 2009年 » 第9号 遺伝学主要用語の改訂

2009年10月05日

第9号 遺伝学主要用語の改訂

日本人類遺伝学会(中村祐輔理事長)は2009年の大会で遺伝学の主要用語の改訂を行うことを決めました(http://jshg.jp)。私はこの学会で理事を務めており、用語の改訂にもかかわってきたので説明したいと思います。

一般に科学用語は国際的な用語の訳語を使用しますが、遺伝学では日本で使われる用語と国際的な用語の内容が異なっていたのです。例えば遺伝学はgeneticsの訳ですが、もともとgenetics(遺伝学)はheredity(遺伝)とvariation(多様性)を取り扱う科学分野として1905年に初めて提案された造語です。それを日本ではheredity(遺伝)だけを取り扱うと誤解されやすい「遺伝学」と訳したため取り扱う範囲が狭くなっていたのです。そこで、今回、遺伝学(遺伝の科学)から、遺伝学(遺伝と多様性の科学)と変更しました。用語はかわりませんが意味を広くしたわけです。またvariationの訳を「多様性(バリエーションも許容)」としました。これまでは、variationは「変異」と訳されていましたが、この用語はmutationとの区別が難しかったのです。実際に多くの例では、mutationを突然変異ではなく、変異と訳しています。もともと、「突然」という語句が不適当なため混乱が生じていたのです。今回、mutationは「変異」と訳すことに決まりました。ただし、「突然変異」と訳すことも許容されます。それに伴って、mutantは「変異体(突然変異体も許容)」、variantは「多様体(バリアントも許容)」と訳すことに決まりました。

今回の用語の改訂は色々な範囲に大きな影響を及ぼす可能性があります。日本では「遺伝」の用語は欧米諸国に比較して、暗いイメージを持たれていることがアンケート調査などでわかっていますが、この一部には「遺伝」がheredityのみを意味すると捉われやすいことが関係していると思われます。遺伝ということばは、他人が自分とは質的に異なった存在であることをイメージさせますが、多様性ということばは、異なった人々が連続的につながった存在であることをイメージさせます。変異ということばは、遺伝よりますます、質的な違いを強調します。今回の改訂により「遺伝」のイメージが、より明るいものになることが期待されます。

更に、今回の用語改訂により遺伝学の教育の進展が望まれます。遺伝学は生物学、医学の総論的部分であり基本を担う部分ですが諸外国と比べ日本ではその教育がおろそかにされています。その理由の一部は、遺伝学がheredityのみの狭い範囲を取り扱うと解釈されることであると考えられます。更には、中学校、高等学校での教育範囲や教育内容に大きな影響を与える、学習指導要領の記載も改善されることが期待されます。現在の学習指導要領には「遺伝学」の取扱いは極端に小さいのです。「遺伝」のみが項目として掲げられ、「多様性」「変異(突然変異)」「座位」「遺伝型」「アレル」などの基本用語も入っていません。これは進化やその他の分野との比較でも際立って小さな取り扱いです。その理由の一つが、これまでの遺伝用語の概念の混乱であったことは十分考えられます。今回の改訂で、locusは、「遺伝子座」から「座位」に、alleleは「対立遺伝子」から「アレル(アリル、アリールも可)」に「遺伝子型」から「遺伝型」に変更されました。これらの用語はgene(遺伝子)という用語ができる前に造語されたので、国際的には「遺伝子」の概念は入っていません。実際に、多くの場合、遺伝子とは関係なくこれらの用語が用いられているのです。今回の改訂で国際用語との関連が明確になったので、学習指導要領には、「遺伝」に加え、「多様性」「(突然)変異」「座位」「アレル」「遺伝型」「表現型」などの基本的用語を項目として入れてほしいと思います。

今回の用語の改訂は社会の基本的な部分にも影響を与える可能性があります。自分と他人との関係、あるいは異なった人々の関係に影響するかもしれません。自分とは異なった人々を異常と決めつけ、質的に異なるものという考え方に反論する手段を与えます。例えば、人々の中に赤色と緑色の区別ができにくい人々がいます。もともと「色盲」といいうことばが使われていたのですが、現在では「色覚異常」ということばが一般的です。しかし、良く調べると、このように色覚の区別ができにくい人々の割合が10%を超える集団もあるのです。従って、これを「異常」というのが正しいかどうかという議論があり、むしろ多様性の一つではないかという説も強くなっています。Variationに多様性という訳をあてることにより、「色覚多様性(variation in color vision)」ということばを用いることができます。今のままでは「色覚変異」と呼ぶしか無いのですが、変異はどうかんがえても変です。

このように「遺伝学」や「遺伝」のイメージが、より明るいものになり、日本における遺伝学教育がより豊かになり、更には社会が多様な人々により構成されているという認識が広まることが今回の用語改訂の目的です。

No 英語 日本語 これまで
 1 genetics 遺伝学「意味:遺伝と多様性の科学」 遺伝学「意味:遺伝の科学」
 2 variation 多様性(バリエーション) 変異(彷徨変異)
 3 mutation 変異(突然変異) 突然変異
 4 variant 多様体(バリアント) 変異体
 5 mutant 変異体(突然変異体) 突然変異体
 6 locus 座位 遺伝子座
 7 allele アレル(アリル、アリール) 対立遺伝子
 8 genotype  遺伝型 遺伝子型

( )内は、許容される用語


HOME » 理事長通信 » 2009年 » 第9号 遺伝学主要用語の改訂

PageTop