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第125号 笑えない某国の指導者事情

最近、某国の情報関連の大臣がコンピュータを使えないことが問題になっていました。大臣は使えなくても部下が優秀であれば構わないという議論もありました。某国ではこのような事例には事欠かないという説もあります。

組織のトップがその組織の業務に精通していない事は問題であると私は考えています。それは、そのような指導者は自分をはじめ、素人を納得させることが上手な専門家に業務を任せる傾向があるからです。このような専門家にとって、トップはわからないほうが良いということになります。しかし、本当に必要な専門家は現在よりも未来を見る能力を持つ人々です。そのような人々の説明は素人にはわかりにくいことも多いものです。

日本に最も欠けているのは「情報を重視する姿勢」だと思いますが、中でも指導者が情報の重要性を理解していないことが大問題です。前述の某国の例は我が国にも当てはまると言えます。もちろん、これは指導者だけの問題ではなく、社会全体の傾向が指導者に反映されている結果だと思います。これは今に始まったことではなく長い歴史に起源を持つ特徴です。私は、今の日本がこの欠陥に気づき、教育を通じてその対策を講じることが将来の我が国にとって極めて重要と考えています。

日本社会は、モノやデータの認識力は強いのですが目に見えない情報の認識力は強くありません。従って、もちろん、それを重視する姿勢は弱いと言えます。それが過去の日本の多くの失敗の本質の基礎にあり、現在の困難に関係し、将来の危惧につながると思います。

例えば、日本が太平洋戦争を開始し、米国との戦争を始めたのも情報の軽視があったと考えられます。猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」(中公新書)によると、日米開戦直前の夏、内閣総理大臣直轄の総力戦研究所の若手のグループがシミュレーションを重ねて出した戦争の経過は、実際とほぼ同じだったと言います。日本は緒戦、奇襲攻撃で勝利するが、国力の差から劣勢となり敗戦に至るという結論です。つまり、優秀な若手のグループには情報を正当に分析する能力があったのです。しかし、日本の指導部はそのシミュレーション結果を重視せず、政治力学と空気、更には情緒に任せ、開戦に至ったわけです。

開戦の時だけではなく、その後の戦闘でも日本軍の、情報を重視する姿勢は連合軍にはるかに劣っていました。一例として暗号解読があります。連合軍は暗号解読を重視する政策を取りました。日米海軍の雌雄を決したミッドウェー海戦では暗号解読が重要な役割を果たします(戸部良一他、失敗の本質―日本軍の組織論的研究 [中公文庫]を参考にした)。もともと米国海軍は大西洋、太平洋の両側に戦力を配備する必要があるため戦力的には太平洋においては日本軍がかなり優勢であったと言われます。日本軍の判断では圧倒的優勢の連合艦隊の最大の勢力を用い、手薄なミッドウェーを奇襲作戦で容易に攻略できると考えていました。そして、それを奪還するために後にハワイから来る米軍の空母を迎え撃つことを計画したのです。しかし、実は日本海軍の暗号は米軍に解読されており、ミッドウェー作戦は完全に漏れていたのです。従って、日本海軍のミッドウェーへの奇襲作戦は奇襲とはならず、米軍の空母3隻が待ち受けていました。相手の状況が全く分からない日本海軍は、航空機の半数を用いて偵察とミッドウェー島攻撃を行いますが、米軍は先発隊の帰艦で混乱する日本軍の4隻の空母に高空からの急降下爆撃による一斉攻撃を浴びせ、3隻を破壊、残る1隻も後に破壊します。米軍は3隻の空母のうち1隻のみを失ったのみでした。この海戦で日本海軍は虎の子の空母のほとんどを失い、まさにミッドウェー海戦は雌雄を決する海戦となったのです。

日露戦争で主流であった、相手が目に見える状況での戦艦の撃ち合いから、相手が目に見えない空母での戦いになり、情報の重要性が格段に増していたのです。日本軍はスパイや捕虜から得られるような、誰にも理解できる情報を重視し、数学を用いた暗号解読などの重要性の理解が不十分だったことが勝敗を分けました。おそらく、指導者の理解能力に差があったと考えられます。

後にわかった事ですが、連合軍には歴史に残る天才的情報学者3人が協力していたことがわかっています。暗号解読の専門、アラン・チューリング(Alan Turing、ただし英国)、制御理論の専門、ノルベルト・ウィナー(Norbert Wiener)、統計学が専門のジャージー・ネイマン(Jerzy Neyman)です。連合軍でこのような情報の専門家が活躍できた背景には、指導者たちの情報重視の姿勢があったためと考えられます。我が国ではこのような情報学の天才が居たとしても、その重要性を理解できる指導者達が極めて少ないことが大きな問題なのです。

例えばチャーチルは暗号解読の重要性をよく理解し、そのために膨大な予算と人員を費やしたことが知られています。指導者自らは情報の専門家でなくても、その重要性がわかるか否かが重要なのです。日本の指導者の中には、このような情報の天才たちが連合軍の勝利に大きな貢献をしていたことを知らない人も多いでしょう。

戦後の日本の産業についても特に指導者たちの情報を軽視する姿勢が衰退の大きな要因であると考えています。電子機器産業にしろ、半導体産業にしろ「モノづくり」が重要な間は日本の独壇場ですが「情報」が重要になってきた途端に弱点を露呈します。対象が目に見える範囲では十分能力を発揮できますが、目に見えない状態で数学力を使った創造を行うことが不得手のように見えます。電子機器や半導体で世界を制覇したように見えた日本企業はインターネットとスマホの情報技術についていけず、敗退しつつあるように見えます。薬についても同じであり、化合物より医学的な効果と安全性の情報こそが重要になりつつあり、後者への対処に後れをとっています。これから輸送機器についても同じことが起きる可能性があり、その対策を早急に考える必要があります。

なぜ日本社会が目に見える「モノ」に優れた感受性を持つのに、目に見えない「情報」への感受性が弱いのか、私は次のように考えています。モノ(ここでは現実世界の、認識可能な対象物一般を指します)は感覚器を通じ、脳の中でまず「データ」として格納されます。このデータの取り扱いが問題です。数えられる対象と数えられない対象とで数学的取り扱いが全く異なるのです。英語には可算名詞と非可算名詞の違いがありますが日本語にはありません。従って、英語を理解していると対象となるモノが可算のデータ(例えば整数)、または非可算のデータ(例えば実数)として扱うべきかが直観的に理解できます。次に、データをもとに演算を行う必要がありますが、演算の対象は要素である場合と、要素の集合である場合があります。英語の場合は単数、複数の違いや集合名詞の存在によりこの概念を理解しやすいのですが、日本語の場合は理解が比較的困難です。更に、演算の組み合わせにより関数が定義されます。標準的な関数は要素と要素を対応させる機能を持ちますが、要素は集合の中のどれかの値をとります。そのためには、不明の「どれか」という「変数」と、確定した「どれ」という「値」を明確に区別する必要があります。英語では前者には不定冠詞「a」がつき、後者には定冠詞「the」がつきます。定冠詞の付く名詞は特定のモノですが、不定冠詞の付く名詞は集合のどれかの要素を指します。後者は変数であり、前者は値に相当します。物理で取り扱う変数は時間や空間など連続的に変化する場合が多く、感覚的にも理解しやすいものですが、生物や人間を対象とする情報の場合、個人間で異なる数や量を変数とする場合が多いと言えます。これを理解するには集合の中の任意の要素、特定の要素という概念の理解が不可欠と言えます。

このような、現実の対象物であるモノに対応するデータが可算か非可算か、要素か集合か、値か変数かを区別し、正しく把握したうえで処理することは「情報」を理解するうえで非常に重要な事です。特に、集合や変数は抽象的な概念であり、これを現実社会の対象物であるモノと対応させ、推論や予測を行うためにはこれらの概念が不可欠なのです。日本人は、数学の上だけでこのような概念を抽象的に把握する傾向があり、これらを現実のモノと対応させた上で把握する能力が弱いと私は考えています。そして、数学的に理解した複数の概念を現実社会に「当てはめる」(モデル選択)傾向があります。日本人は純粋数学においては優れた能力を持っています。しかし、それを現実社会の対象物に対応させる能力に問題があると私は考えています。

以上の問題を理解すれば対策を講じることが可能です。英語の教育の中で数学的説明を行う方法と、数学の教育の中で英語の例を用いる方法があると思います。あるいは、ある程度、英語と数学を理解した段階で、英語、数学の教育とは別の時間、例えば情報教育の中で教えてもよいと思います。

もう一つ、日本社会が情報を理解するうえで重要な教育があります。それは「遺伝学」の教育です。遺伝学以外の分野でも、経済学など現実世界のモノとデータを対応させ、それをもとに推論や予測を行う対象は多いと言えます。しかし、そのようなプロセス全体の妥当性を納得し、信頼できる対象は多くはありません。現実データを分析する統計学の創始者ゴールトン(Galton)、フィッシャー(Fisher)も、情報学の創始者シャノン(Shannon)も、最初に遺伝学を徹底的に研究した上でそれぞれの分野の研究を行っています。実際に、回帰、分散、最尤法、ランダム化など多くの重要な概念が遺伝学に由来します。海外からは、日本は遺伝学、特に人類遺伝学が極端に弱いと指摘されています。遺伝学の理解不足が統計学の理解不足につながり、統計学の理解不足が情報学の理解不足につながっています。そして、情報学の理解不足が現在の人工知能の理解不足につながっているのです。その理由は歴史的にデータを分析し、推論や予測を行う「データサイエンス」は遺伝学に始まり、統計学、情報学を経て、人工知能に発展してきたからです。

遺伝学が他の分野に比較しても重要な理由は、それが人間の本質を形作っているからです。私は、数学は脳のシステムの反映であり、脳はゲノムシステムの反映であると考えています。数学が脳によって作られ、脳がゲノムによって作られたことは明らかだからです。今後は、人工知能、脳、ゲノムを統合した科学が発展するでしょう。

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