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第92号 大企業がイノベーションを起こしにくい理由

大企業で大きなイノベーションが起きにくいことを初めて知ったのは1980年代の前半でした。8ビットのCPUの時代には、パソコンを管理するシステムであるオペレーションシステム(OS)は、ゲーリー・キルダールのデジタルリサーチ社が開発したCPMでした。16ビットのCPUが開発され、パソコンに普及しだした時、IBM は自社のパソコン(IBM-PC)用のOSを開発する計画を立てました。そこでゲーリー・キルダールに頼みに行きますが拒否されます。その後IBMのスタッフはマイクロソフトのビル・ゲイツに依頼します。ビル・ゲイツは既に16ビットのOSを開発しつつあったシアトルの小さな会社のOSを買い取り、いわゆるMS-DOSを開発します。その後、マイクロソフトはIBM以外にもMS-DOSを提供し、そのためIBMのパソコン事業は低迷を余儀なくされます。

この時、疑問に思ったのは、伝統のある大企業であり、優秀な技術者を多く抱えるIBMが、なぜOSを自社開発しようとしなかったのかということです。私が読んだ本にはこう書かれていました。「IBMではこのところ大きなプロジェクトが成功したためしはなかった」と。おそらく当時のIBMを支えていた大型コンピュータの利益がパソコンの進展により衰退する事をおそれたのでしょう。現状を変えることで現在の利益が損なわれることをおそれるのは、どの大企業にも共通した傾向です。パソコンが進展することを確信していた私は、当時アップルとマイクロソフトがIBMを超える大企業になることを予言して、皆に笑われたものです。

この例は、大企業自体が革新的なプロジェクトに対する能力不足を自ら認めているのでわかりやすいのですが、大企業が大きなイノベーションを評価できなかった例は枚挙にいとまがありません。

ヒューレット・パッカードに勤めていたスティーブ・ウォズニアックのパソコン販売の提案は上司に評価されず、スティーブ・ジョブズの類まれな能力によりApple IIを売りだした事はよく知られています。前述のゲーリー・キルダールも勤務していたインテルにOSの開発を提案しますが、評価されずに自ら会社を立ち上げています。マッキントッシュにつながるSmall Talkの開発者アラン・ケイは、勤めていたゼロックス社にマウスやWYSWYG機能を評価されず、スティーブ・ジョブズに能力を提供します。グーグルのブリンとページも自ら開発したページランクアルゴリズムを大手検索会社に売り込みますが低評価を受けて自ら会社を立ち上げます。

大企業のイノベーション不足の例はIT部門に限りません。創薬の部門も多くの画期的製品は欧米のベンチャー企業から出ます。グローバル企業は初期開発をあきらめ、ある程度めどが立つようになったシーズを、時には企業ごと買い取るという例が多いようです。日本の創薬の不振も、このようなベンチャー企業の未成熟にあると言われています。

このように、大企業内でイノベーションが起きにくい理由は何でしょう。個人の能力が劣っているとは到底考えられません(欧米では多少、その傾向もあると思いますが)。個人の能力ではなく、大企業は構造的に近年の産業界ではイノベーションを起こしにくいと考えられます。実は大企業の職員にとってイノベーションを起こすことは不利になる可能性が高いと思います。特に、他の職員や自分以外の部門がイノベーションを起こすことは、自分の地位を危うくします。従って、他の部門、あるいは外からのイノベーションを摘むことが実は大企業の職員にとっては有利に働くのです。もちろん、企業全体にとってイノベーションを起こすことは有利なのですが、企業の利益と経営陣を含んだ従業員の利益は必ずしも一致しません。実際には企業は従業員の意思決定で動いているのです。

さらに、イノベーションを起こす行為はリスクも伴いますが、大企業では有益な仕事をしないことは解雇の原因にはなりませんが、失敗を冒すことは解雇の原因になりうるという事情もあるでしょう。

欧米追随型のこれまでの日本では、イノベーションの重要性は比較的低かったのが現実です。欧米技術のコピーと改良で優位性を保てたのです。しかし、アジア諸国の発展に伴い、コピーと改良は日本だけの特技では無くなりました。そのため、日本発のイノベーションの重要性が増してきています。私の考えでは、これからのイノベーションにおいて「モノ」より「情報」の重要性が高くなってきます。しかし、日本は教育の問題もあり「情報」を認識し、価値を生み出す能力が不足しています。これから、どのようにその環境を作っていくかが日本の抱える大きな課題です。

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