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第28号 不確実性と多様性にどう対処するか(4)

不確実な過程における予測技術を習得するために教育が重要である事は言うまでもない。不確実な過程の予測には、0か1かの質的予測では無く、確率を基礎にした量的予測が不可欠である。そのためには文章的記述に加え数学的記述が必要である。このような量的記述に基づいた予測の習慣が日本においては極めて乏しい。

結論から言うと、中等教育における数学の到達目標を「微分、積分学」から「確率論、統計学」に変更すべきである。もちろん、微分、積分を教えないわけではない。確率、統計にも微分、積分は必要である。しかし卒業時の到達目標として、確率や統計を理解する事を重視すべきであると考える。

菊地寛だったと思うが、社会生活に数学はいらないと言ったと記憶している。せいぜい道を歩く時、「三角形の二辺の和は、他の一辺より長い」という法則が役立つ程度だという。当時の多くの人々は、それに納得したのであろう。実は当時の私も、なるほど、と思ったものである。

しかし、社会は大きく変わった。数学が日常生活や多くの職業に必要になってきた。しかも、日常生活や仕事で役立つ数学は、確率統計であり、微分積分では無い。この変化は情報、特に人間が関係する情報が多くなり、それに対処する事が一般の人々にも不可欠になってきた事によるものである。そして、それらの情報がインターネットなどを通じて容易に得られるものとなった。多くの人々の仕事も、それらの情報の活用無くしては考えられないようになってきた。

微分積分は一部の例外を除いて、基本的に確実な過程を分析し、予測を立てる方法である。例えば、大砲の弾はどこに着弾するか、日蝕はいつ起きるか、光に近い速度で動くと時間の進行はどうなるか。それに比較し、確率統計は不確実な過程を分析し、予測を立てる。例えば自分はどのような病気にかかるか、いつまで生きるか、選挙の結果は誰が勝つか、明日の株価はどうなるか、私の資産はどうなるか、などである。前者は基本的に「モノ」に通用するが、後者は基本的に「生き物」に通用する。生き物を支配する法則が、モノと違って不確実な法則だからである。アインスタインは物理法則について「神はサイコロを振らない」と言ったが、メンデルはひっきりなしにサイコロを振っている。確率統計の必要性は、モノに関する分析や予測より、生き物、特に人間に関する分析や予測が社会で重要になった事を反映している。

微分積分は物理学や化学で重要な事は認める。宇宙を理解し、ロケットを飛ばし、化学工場を建設し、原子炉を設計するには必要であろう。従って、中等教育で教えるべきである。しかし、すべての人に必要とは言えないし、これから本当に必要とする人々は減少していくであろう。一方、どのような人であっても確率統計は必要であり、これから益々、これを必要とする人々は増加する。例えば職業の面でも、情報通信産業、医療、経済関連産業、流通産業、新規開発産業、農林漁業、報道機関など多くの産業で不可欠な数学は確率統計であり微分積分では無い。これから中等教育を受けた卒業生が将来どの職業に就くかを考えると、確率統計を中等教育の到達目標にすることの正当性が理解できる。現状では、これらの職種の人々に、十分な確率統計の知識があるとは言えないのではないか。

例えば、大手マスメディアによる政党支持率調査なども、各党支持率を出すだけではなく、米国のように標準誤差や95%信頼区間を併記してほしいものである。政党支持率などの数値は基本的に不確実であり、自分たちの調査がどの程度信頼できるかを報道してほしいのである。そうすれば、各新聞で同じ政党の支持率がなぜこれほど違うのかが理解できるはずである。おそらく日本の報道機関には確率統計を深く理解する社員はそれほど多くは無いのではないか。このようなデータの意味を理解し、政治や報道の不確実性を理解する事がこれからの政治、行政や報道を良くするために重要ではないだろうか。

確率統計は一般人の日常生活の上でも重要である。薬を服用する、手術を受ける、健康によい食品を摂取する、自分や家族の命を考える、インターネットから得られた情報を理解するなど極めて広範囲な分野で必要である。もちろん、前述の政党支持率を正しく理解する上でも重要である。政権の公約やマニフェストやアジェンダにしても、それらを確実なものと考え完全実施を要求し、完全実施できなければ替わりを要求するだけの現状から脱却できるのではないか。それらを確率統計の概念で考えれば、首相や政権がめまぐるしく変わる現状から脱皮できるのではないか。これらの出来事は、実はもともと不確実なのであるが、情報が十分開示されていなかったため以前は確実に見えた。マスメディアによる権威と情報整理により、その解釈に確率統計があたかも必要が無いかのように誤解していたのである。そして情報洪水の中で多くの人々が不確実性に気付き混乱している。

数学で確率統計を教わる事は、一生を通じての人々の考えにも大きく影響する。物事の不確実性を理解し、その上で生きていくための考えを学ぶ。日本社会は比較的、不確実性を意識することなく生きる事ができた社会であった。学校を卒業し、一流会社に就職すれば一生なんとかなった社会であった。しかし、これからはそのような確実な一生が望める人はほんのわずかであろう。確実であると考えていたのに、不確実性が明らかになった時、人々は大きな不安に陥る。1990年台後半からの日本における自殺率の増加にもそのような影響があるのではないだろうか。確率統計の教育は、自分自身の将来の不確実性にも対処するために役立つであろう。

ここで述べた、数学の到達目標を微分積分学から確率統計へという提言は、海外では最近大きな話題になっているテーマである。もちろん、その背景にはグーグル、マイクロソフト、アップルなどの情報通信産業の目覚ましい発展がある。微分積分ではなく、確率統計の知識と技術が、その発展の中心にある。

更には医療や健康維持においても確率統計の重要性は加速度的に増大している。これから日本で高齢化が進み、医療費が切迫してくるにつれ、確率統計を駆使したデータの分析の重要性は増す。その解析結果に基づいて、ある医療行為を採用し、別の医療行為を取り消すと言う事をせざるを得ない。さもないと、国家財政自体が破綻するであろう。

利害関係が入り組んだ社会で、不確実性を理解したうえでディシジョンを下す手段は確率統計以外には見出しにくい。そのディシジョンに皆が納得するのは数学的手段によるからである。世界のだれもが納得するのは言語でも、宗教でも、民族でも無い。数学である。趣味や直感や、権威、ましては利害による意思決定は情報開示社会の進展とともに不可能となっている。情報開示により不確実性がわかってきた現在、それに伴いディシジョンを行えない現状が日本の閉塞感の中核にあるのではないか。不確実性の上でディシジョンを行えない日本社会の現状が、非民主的で暴力的な権威を要求する方向へ向かう危険もないとは言えない。確率統計を駆使したデータ分析が不確実性の上でディシジョンを行う民主的な方法である事を多くの人が理解してほしい。

現在の日本の閉塞感が確率統計のみで解決できるとは思わないが、このような考え方を広める事が、その解決の糸口を見出すためのきっかけになるのではないだろうか。

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