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第27号 不確実性と多様性にどう対処するか(3)

じゃんけんの例でもわかるように不確実な過程の中で効率よく勝つためにはデータを集める必要がある。自分や相手のデータをすべて集め、それを分析する必要がある。しかし、分析だけでは不十分で、それを元に予測を立てる事が肝要である。じゃんけんのどの手を出せば勝てるかの予測を立てるのである。 しかし、問題はじゃんけんが不確実な過程であると言うことである。相手はモノではないのでどの手を出すかがわからない。このような場合、日本では予測を放棄する事が多いのではないだろうか。相手がどの手を出すかわからないので予測をしても仕方が無いのではないか。相手がチョキを出すと予測して自分はグーを出したのに実際は相手がパーを出して負けた。こんな事なら予測はしないほうが良い。などの意見が多いのではないだろうか。

このような意見は、確実な過程にしか通用しない意見である。そして、確実な過程の場合しか予測を行わないと言うのが日本の傾向であると考えられる。不確実な過程の場合に予測を発表すると、間違ったときに大きな非難を受け、責任を取らされる。しかし、これは不確実な過程における予測の本質を理解しない考えである。不確実な過程に対処する際に起こしやすい間違いは、(a) 確実な過程であると誤解する事と、(b) 不確実な過程であれば予測は無意味であると考える事、である。もしこれからも日本が不確実な過程における予測を拒否し続ければ、我々は負け続け、極めて貧乏な国民になると考えられる。アジアの国を含め諸外国では、不確実な過程における予測の技術を発展させているからである。

不確実な過程における予測技術の不在は、日本に大きな問題を生じている。まず、不確実な過程でディシジョンを行う場合、直感、感情、利害に基づく場合が多い。それらは客観性をもたないので通用するのは仲間内だけである。従って、ほとんどの場合、予測は正しくなく結局は失敗する確率が高い。しかし、直感、感情、利害による決定は共感を呼びやすい。高度な予測技術を理解しない多くの人々に良く理解されるからである。これらは、0か1という文章記述的な論理による理解が可能である。しかし、近年の予測技術は量的な理解が必要であり、数学に支えられたものである。日本の組織では高度な予測技術を理解する人々は敬遠されがちで力を発揮できない。これが日本の停滞の根底にあると考えられる。

不確実な過程における予測技術の不在が大きな問題となっている分野として、次のような例がある。(a) 国家経済戦略、(b) 組織経営、(c) 年金問題、(d) 医薬品開発、(e) 医薬品や医療技術の承認、(f) 診断と治療、(g) ICT (Information and communication technology)、(h) 高度なサービス産業、(i) 裁判、(j) 防衛、(k) 選挙、(l) 防災、(m) マーケティング(n) 生命保険、(o) メンタルヘルス、(p) 予防医療などである。

即ち、ありとあらゆる分野であり、また現在の日本で大きな問題となっている事項である。このようなそれぞれの分野で、不確実な過程の予測技術を習得した人材が極端に不足している。そのような技術を習得できるような教育課程になっていないからである。そのため、直感、感情や利害をもとに予測を立てる事が多いのが日本の特徴である。本来、0か1かの性質を持った出来事では無いので、文章のみによる論理展開は不可能であるが、文章やことばによる論理に頼ろうとする。そして、情報が氾濫している現在、直感、感情や利害で判断を行いがちな日本人のリスクに対する不安は頂点に達している。2012年12月のBloomberg Businessweek誌に「Japan’s Fear of Risk is Getting Dangerous」(日本のリスクに対する恐れが危険なレベルにまで達してきている)という記事が掲載されている。不確実な過程で予測を立てる技術が不足し、確実な過程のみに集中するため、全体として極めて危険な状態になっていると言う指摘である。例えば、日本の高齢者は資産を持っているが、その多くを銀行に預金している。ところが預金の多くは銀行で国債に変わっている。国より確実な依存対象は無いからである。例えば、じゃんけんで負けるのが怖くて、全員でチョキを出そうと約束するようなものである。これなら確かに永遠に負ける事は無い。しかし、中の一人がその約束を破るか、外部から賢い一人が加われば、その不敗のシステムは一気に崩壊するであろう。例えば、ギリシャ、スペイン、イタリアでは国に頼った人々や機関が困難に陥っていると聞くが、それが日本で起こらないとは誰が断言できるだろう。

不確実な過程におけるディシジョンの問題は裁判制度にも存在する。裁判では起訴や判決に間違いがあってはならないことになっている。しかし、人間が行う事で間違いが無い事はありえない。情報不足で、それがわからなかっただけである。そのため情報が大幅に明らかになりつつある現在、検察や裁判所の権威はゆらぎつつある。裁判所は責任を自分たちだけが負う事を恐れ、国民と分担しようとしている。裁判員制度である。

医薬品の効果も不確実な過程である。全員に効果的で安全な医薬品などあり得ない。その認可で必要な技術は、不確実な過程における予測技術である。その医薬品を投与した人々から得られたデータを解析する事による有効性と安全性に関する予測を行う必要がある。認可後も、100%の有効性と安全性はありえない。臨床情報を常に収集し、分析して予測を立てる技術は不可欠である。日本はこの分野においてもはるかに遅れを取っている。そのため、日本発の世界に展開した医薬品が近年極端に減少している。欧米の認可当局や製薬企業には不確実な過程における予測技術を習得した人材が数多く存在する。そのような人材の開発なしには日本における医薬品開発を発展させる事は望めない。

まず大切な事は、人間に関する限り、多くの過程は不確実な過程である事を人々が理解する事である。そのような過程に対処するためには不確実な過程における予測の技術を駆使する事が必要である。不確実な過程では100%を達成する事は技術的に不可能であり、できるかぎり達成の確率を高くする技術こそ最も重要である。それには、日本における教育課程の改革が必要である。

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