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第124号 計算脳から思考脳へ

算数教育で、九九を教えるべきか?私は以前から「九九を捨て、別の教育に時間を割くべき」と考えていました。しかし、九九を捨てることにより失うものも多く、実際にその決断をする事は困難であると考えていました。しかし、最近の海外の情報を知り、衝撃を受けました。少なくとも、フィンランドや米国では九九を教えることを捨てたようなのです。もしかしたら、それらの国でもまだ教えている学校はあるかもしれません。

九九がわからないと多くの計算ができなくなります。一桁の掛け算から始まって、2桁以上の掛け算、割り算も筆算ではできなくなります。平方根の計算も出来ません。九九を捨てるという事は、ありとあらゆる「計算力」を捨てることを意味します(足し算、引き算はできます)。これまでの算数教育の重点は計算力をつける事に置かれていました。従って九九を捨てる事は、人間に計算力はいらないと言う主張に基づくものだと思います。確かにコンピュータの出現により、計算力は不要になっています。計算の達人は、そろばんの達人と同様に周囲の尊敬を集めるかも知れませんが、競争すると500円の電卓にもかなわないでしょう。

それでは計算力の教育以外に何の教育をすればよいのでしょう。それは「算数、数学における意味の理解」だと思います。掛け算の計算はできなくても「そもそも、掛けるとは何なのか?」を理解することです。平方根の計算はできなくても「そもそも平方根の意味は何か」を理解することです。そうすると算数や数学教育の本質は「計算」ではなく、文章などに似た「意味の理解」ということになると思います。色々な出来事や概念の中で、文章で表現できる対象は限られています。算数や数学を用いることで様々な出来事や概念を記載でき、他人に伝えることができます。考える力、伝える力が格段に大きくなります。このような能力は、もともと人間の脳に備わった能力かも知れませんが、一部は教育や経験により獲得できるものだと思います。

以前は、人間の脳では神経細胞をつなぐシナプスは、成長後はあまり変化せず、シナプスの伝導効率が変化する(シナプス可塑性)と考えられていたようです。しかし、最近、シナプスのリモデリングは大人になっても行われており、新たなシナプスができたり、シナプスが刈り取られたりする事が明らかになったようです。神経ネットワークの構造が変化するようなのです。学校教育によりこのリモデリングの結果は大きく違ってくるのではないでしょうか。欧米の教育界は九九の教育を捨てることにより、これからは「計算脳」ではなく「思考脳」を作るという大きな方針転換をしたのだと思います。教えられた方法に従い、ひたすら作業を行うことから、自分で意味を考え、新たに作り出すという方向性です。

私は算数や数学教育の変革は、数の計算にとどまらないと考えています。例えば式の展開、因数分解、式の簡略化の手法も教える必要が無くなると思います。微分、積分、級数やその和、積などの手法も教える必要は無いかも知れません。それらの式の処理はすべてMathematicaなどのソフトで可能だからです。余った時間をひたすらそれらの意味を理解することに費やすべきだと思います。例えば、微分であればできるだけ多くの式の微分を生徒自らがMathematicaで行い、その結果を自分で行った数値によるシミュレーション結果と対比します。更には自分で作成した様々なグラフを見ることにより総合的に微分、積分の意味を理解します。Mathematicaは微分方程式も解いてくれますので、その結果を式に入れて正しさを確認することができます。文章の意味も、図を見ることで理解が深まるように、数学的概念も視覚を利用して理解すると良いと思います。他人に教えられた理解より、自分で行った結果に基づく理解の方が格段に優れています。

日本ではどうしても「数学における意味の理解」より「計算力、計算方法」が重視されるように思います。このような教育による結果、生徒はどのような能力を持つでしょう。その能力は意味を考えるより、教えられたことをひたすら実行するという、これまでの産業には向いた能力であったかも知れません。しかし、これからは自分で考える能力をつけることこそ重要になるでしょう。教えられた事をひたすら実行するという能力はコンピュータが代行してくれるからです。

日本でも算数で九九を教えるべきか否かを議論し、場合によっては大規模な算数、数学教育の改革を行うべきだと思います。先進国の若者が「思考脳」になっていく中で、日本だけが「計算脳」「記憶脳」のままでは不安です。これは産業や経済だけの問題ではなく、豊かな心を育成するためにも重要なことだと思います。

これに関して、例えば、最近の深層学習ブームにしても心配なことがあります。日本は欧米から学んだその手法や計算結果のみを重視し、その意味の理解が疎かになっているのでは無いでしょうか。深層学習の意味より、深層学習の手法や計算に重点が置かれているように思われます。これでは当面の目的は達成できても、新しい変革を自分から起こすことは困難だと思います。

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