HOME » 理事長通信 » 2018年 » 第122号 モノの数学と、生き物の数学

2018年01月17日

第122号 モノの数学と、生き物の数学

数学の発生は文明以前に遡ると言います。最初は現実問題への応用から始まったのではないでしょうか。地形の計測や暦などによる時間経過の記録、更には天文の記録などが初期の数学の主要な課題だったのでしょう。その後、ティコブラエの膨大な天文データを基にしたケプラーの法則の発見、ニュートン力学、更には熱力学への応用が重要なマイルストーンになるのではないでしょうか。現在により近い時代ではアインスタインによる相対性理論、ハイゼンベルグなどによる量子力学も数学なしには考えられません。
しかし、これらは数学の、モノへの応用と言って良いでしょう。19世紀に入り、モノの数学だけではカバーできない問題が多く発生します。モノとは違って生き物には多様性があるためです。例えば、身長は個人ごとに大きく異なります。これを数学的に取り扱うためにはすべての個人の身長をリストアップすることも一つの方法ですが、やはり平均、最大値、最小値など、データから計算した値で示す必要があるでしょう。即ち、「記述統計学」です。このように記述統計学では、生き物から得られる様々なデータを、あるがまま、数学を用いて記録し計算するという方法を用います。記述統計学では特に「因果関係」は考えません。
しかし、ここで、それぞれの個人の身長の間には因果関係が存在することに気づくはずです。それは「親子」の因果関係です。集団の全ての人々は親子の因果で結びついているのです。これはモノの因果関係のように、原因が決まれば結果が一義的に決まるようなものではありませんが、親が原因で子が結果であり、その反対ではないことは確実です。そこで、ゴールトンは、親子のデータを説明するために「回帰(regression)」という方法を導入します。二次元のグラフを用い、横軸に親の身長(の平均)、縦軸に子の身長をプロットします。全てのプロットを通る直線は引けませんか、出来るだけフィットした直線を引く事は可能です。ゴールトンは親の身長から予測した子の身長と、実際の子の身長の誤差の二乗の和が最小となる直線を回帰直線と定義します。ここで、「回帰(regression)」という概念が確立します。
そもそも、生物の多様性の最大の発生源はメンデルの法則と変異です。ゴールトンは1900年に再発見されたメンデルの法則を知りませんでした。ピアソンはメンデルの法則を知っていましたが、これまでの彼の研究内容からそれを認めるわけにはいかなかったのです。ここでフィッシャーが登場します。フィッシャーは、メンデルの法則を認め、これにより推計統計学を構築することを計画します。まず、親子の因果ではなく、メンデルの定義した遺伝型と表現型の因果関係を利用し、多変量線形モデルを導入します。この場合も遺伝型が原因で表現型が結果という因果関係を用いたわけです。表現型には遺伝型だけではなく環境も影響するので多変量になります。ここでフィッシャーは、多様性の指標として「分散(variance)」と言う新しい概念を用いて、これを結果への寄与度の指標とすることを提案します。
引き続きフィッシャーは、メンデルの法則をすべて利用し、親子の因果と、遺伝型と表現型の因果の両方を用いた方法を編み出します。連鎖解析です。モルガンによるショウジョウバエのデータを用いました。連鎖解析では家系図に基づき、構成員から観察した遺伝型と表現型のデータが得られる確率を、表現型の責任座位(パラメータ)を変数とした関数として求めます。そして、その確率の関数を、責任座位の関数とみなす事により「尤度(likelihood)」という新しい概念を提案しました。そして尤度の対数の微分を0とおいた微分方程式を解くことでパラメータを推定するという「最尤法(maximum likelihood method)」を提案します。ゴールトンの提案した直線回帰は最尤法の一部であることが明らかになりました。その後、フィッシャーはメンデルの法則の本質である「ランダム化(randomization)」に注目し、人工的にランダム化を行うことで因果を解析する方法を提案します。
このように、因果が明らかな遺伝学から発生した統計学は、その後、因果が明確ではない現象にも応用されるようになります。生物(多くの場合人間)の関与する多くの分野で統計学は大きな役割を果たしました。人間が関与すると多様性は限りなく大きくなり、従来のモノを対象とした数学では対処できないからです。医学や経済学の分野がそれらに相当します。
しかし、ここに来て、また大きな変化が起きようとしています。それは「人工知能(artificial intelligence)」を作ろうという試みです。もともと、遺伝学も統計学も、対象はモノであったとしても、人間の脳の働きのなせる技です。ここに来て、研究者たちは、脳そのものを模倣する方向へと向き始めたのです。脳生理学の研究成果を取り込んだアルゴリズムを作成し、その成果をまた脳生理学に還元するという方向性が出てきています。そして、現在の人工知能の主流である深層学習の本質の部分には最尤法が用いられています。フィッシャーは数理的に微分方程式を解くことで尤度を最大化するパラメータを得る方法を提案しましたが、その後、複雑な関数の最大化には数値的な方法が用いられています。この数値的な尤度最大化には膨大な計算時間が必要なのです。私は、このような膨大な計算を要する数値的最適化が人間の脳でも行われていると考えています。
以上述べたように、近年、モノの数学に加えて生き物の数学が世界的に進歩して来ています。製造業に偏った日本の産業の構造変換には、生き物の数学を重視した教育が必要です。


HOME » 理事長通信 » 2018年 » 第122号 モノの数学と、生き物の数学

PageTop