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医学の地平線

第120号 巨大なエネルギーを必要とするインテリジェンス

最近YouTubeに録画されたCNNのニュースを見てびっくりしました。ビル・ゲイツが神経難病であるアルツハイマー病の研究のために1億ドルを提供すると言うニュースです。ビル・ゲイツは大金持ちですから1億ドルといっても、金額にはそれほど驚きません。びっくりしたのはそのニュースの中で録画されているビル・ゲイツの短いインタビューの内容です。

脳の神経細胞や神経伝達物質さらにはアミロイドやタウタンパク質の蓄積を示すコンピューターグラフィックスが映された後、ビル・ゲイツの短いインタビュー内容が放映されました。彼はこう言っています。

http://edition.cnn.com/2017/11/13/health/bill-gates-announcement-alzheimers/index.html

 

「こう言うアイデアがあるんだ。みんなの細胞のエネルギーがなくなってくる。エネルギー産生装置のミトコンドリアが年とともに壊れてくるんだ。すごいサイエンスが進んでいるんだよ。」

私がびっくりした理由は、もちろんIT長者のビル・ゲイツが専門的な基礎医学の内容を知っていると言うことに対してです。しかも、この考えは、アルツハイマー病などの病因に関するこれまでの医学会の一般的な説とは必ずしも一致しません。しかし、私の以前からの考えと全く同じなのです。

私が脳のエネルギー問題の重大さを再認識したのはスパコンの経験からです。理化学研究所に世界一のスパコンを作るアイデアが出て、関係者の協議が始まりました(現在は京という名前になっていますが、当時はペタコンと言われていました)。その時の司会者は当時脳科学研究センターセンター長の甘利先生です。この時、問題になったのが、スパコンが必要とする巨大な電力をどう提供するかと言うことでした。中には隣に発電所を作ったら、と言う考えもありました。一般的に、動くものに大きなエネルギーが必要とされる事は理解できます。しかし全く動かないスパコンにどうして電力が必要なのでしょうか。実は、スパコンの消費する巨大なエネルギーと発熱は以前からの大きな問題です。インテリジェンスは巨大なエネルギーを必要とするのです。従って生物においては、筋肉ももちろんエネルギーを消費しますが、脳の消費するエネルギーはヒトでは巨大なものと予想されます。そうであるならば、老化してエネルギーが減少してくると、筋力も衰えてきますが脳のエネルギー不足は大問題となるはずです。

そこで遺伝子と疾患の関係を膨大なデータから調べると、エネルギーに関する遺伝子の変異で起きる疾患の概要がわかります。これは、ヒトで細胞のエネルギーが減少してくる時に起きる障害のリストとなるはずです。筋肉疾患、難聴、糖尿病などもありますが圧倒的多数は中枢神経障害です。つまりエネルギー不足が起きると障害を受ける第一の臓器はヒトでは中枢神経なのです。

インテリジェンスがエネルギーを必要とする理由は人工知能の仕組みを考えれば理解できます。深層学習で巨大な計算力を必要とする部分は、必ずしも単純にデータを伝える部分ではなく、バックプロパゲーションと勾配降下法による、数値的な尤度最大化の部分です(なおニューラルネットワークの勾配降下法を世界で最初に提唱したのは前述の甘利先生です)。これは、何度も巨大な数(百万個単位)のパラメータを、偏微分を使って数値的に少しずつ変更して尤度最大化を図る部分です。私は脳生理の専門家ではないのでわかりませんが、実際のヒトの脳でもこのような最尤法、あるいはそれに近い最適化を用いて学習をしているのではないでしょうか。おそらく、過去の記憶も利用する再帰型ニューラルネットワークのような手法も行われているのでは無いでしょうか。

神経細胞は、神経伝達物質のシナプス小胞への取り込み、輸送、放出、更には放出した伝達物質の再取り込みのほかに、イオンチャンネルを開いたときのイオンの移動に対抗するためのポンプが必要です。これらは全て、信号の伝達に必要な過程ですが、全てATPを必要とするATPaseにより行われています。さらに、脳が深層学習のような最尤法の数値的解決を行う事による学習をしているとすれば、それに必要なエネルギーは膨大なものであると推定されます。

私は、近々、人工知能と脳生理学、さらには神経変性疾患の研究が統合される日が来ると考えています。そのような分野で活躍する研究者を目指すためには、ビル・ゲイツのように、専門分野にとらわれない広い視野を持つ必要があります。新しいアイデアは、しばしば他分野の類似構造をその分野に適用することにより可能です。特に日本では、学会や分野の壁を取り払った再編成が不可欠でしょう。

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