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第110号 創成期の日本の統計学と東大物療内科

創成期の日本の統計学に貢献した研究者として、京都大学教授で後に京都府知事も務めた蜷川虎三氏、数理統計学や統計学の製造業への応用に貢献した北川敏男氏などの名前があげられます。しかし、本格的に実データを解析する近代的な統計学への貢献では増山元三郎氏の名前を挙げたいと思います。

増山氏は東大理学部物理学科の出身ですが、理学部では受け入れられなかったようです。むしろ、東大医学部物療内科を拠点に研究を行っています。現実のデータを、ましてや人間から得られたような汚いデータを数学的に分析するような輩は、当時理学部ではまともな自然科学者とは認められなかったのでしょうか。しかし、当時の物療内科はあまり権威的ではなく、様々な分野の研究者を容認したようです(ナンバー内科といわれる、第一、第二、第三内科に比較し、権威的ではないというのは、物療内科の伝統のようです)。今は臓器別編成のため無くなりましたが物療内科(内科物理療法学)は、夏目漱石に多大な恩義を感じた岩波書店の創設者が、夏目漱石の主治医を務めた眞鍋嘉一郎のために新設した学科だと言われています。増山氏は自分で統計学を学習し、当時として世界レベルの統計学者として認められるようになりました。

日本の敗戦後、米国から原爆調査に科学者集団が派遣されますが、その中にNewton Mortonが居ました。彼は後に、連鎖解析に不可欠なロッドスコア法を確立し、遺伝病遺伝子の発見に大きく寄与します。Newton Mortonは日本の統計学のレベルのあまりの低さに愕然としますが(これは私が直接本人から聞いた証言です)、わずかに2人だけ素晴らしい才能を持った研究者を発見します。増山元三郎氏と木村資生氏です。後者はMortonの紹介により米国Crawの研究室で分子進化の研究に従事することになり、世界的な業績中立説を確立します。米国は広島の放射線影響研究所に自国の統計学者たちを派遣し、これが戦後の日本の統計学の進歩に大きく貢献します。

増山氏は特に蜷川氏と激しく対立します。蜷川氏は経済学や政治学が専門なので記述統計学的手法を重視します。増山氏は推計統計学を重視し、「少数例のまとめ方」などの著書もあるように、標本論を頭においた主張を展開したため、全例調査が原則で母集団も標本も区別しない記述統計学的な蜷川氏と対立したわけです。これはイギリスにおけるPearsonとFisherの対立の類似型と考えられます。ちなみにPearsonはマルクスを信奉しますが(彼は名前のCarlをマルクスと同じKarlと記述するようになります)、蜷川氏も共産党の強い支持の下、京都府知事を長く務めます。どうやら、記述統計学者は共産主義的、国家主義的になる傾向がありそうです。それに比較し、推計統計学者は自由主義的になる傾向があると言えるでしょう。

増山氏は東京大学物療内科の研究室(ME研:Medical Electronics)で、高橋晄正氏、宮原英夫氏などの統計学を理解する優れた医師達の一大勢力を形成しました。特に薬の効果と副作用には興味を持ち、当時の薬の効果を統計的に検定する研究を行います。そして、いくつかの薬について薬効が証明できないと発表したのです。これが日本の製薬業界と統計学の関係を決定づけたのかもしれません。化学と生化学全盛の時代に、聞いたこともない手法で自分たちの商売を妨害する統計学に嫌悪感を持ったことは理解できます。増山氏たちは更に薬の副作用にも注目しました。サリドマイドが新生児の奇形に関係しているという被害者たちを支持する証言を行ったのです。生化学や動物実験ではサリドマイドの催奇性は証明されませんでした。「サリドマイドと催奇性の関連は不確実」と主張する被告企業に対し、増山氏は統計学的解釈から因果関係ありと証言したのです。このような経過から、日本の製薬企業は増山氏のグループや統計学を敵視するようになったのは不幸なことでした。

1990年頃から化学、生化学重視の製薬産業のパラダイムは激変しました。サリドマイド、スモン病、エイズなどの薬害を受け、これまでの承認基準では薬害を防げない事がわかったからです。そこで世界的な新薬承認の基準ができました。それまで、新薬承認は各国の考えに任されていましたが、その頃からGCP(good clinical practice)などの基準に従う事が義務となりました。そして、最も重要な薬の承認基準は化学や生化学、あるいは動物実験の結果ではなく、人間における有効性と安全性を示す疫学と統計であると言うことになったのです。これにより日本の製薬企業による新薬開発は激減しました。それまでの日本の新薬承認には、権威者による評価や化学、生化学、動物実験の結果が重視され、疫学統計学のレベルは高くなかったのです。更に、疫学統計的手法による既存の薬の再評価も行われ、認可取り消し例も相次ぎました。

それ以来、日本企業の新薬開発力は回復していません。そして、世界の産業に占める製薬業の割合が大きくなってきた今、それは我が国の貿易赤字、財政赤字の主因として重大な問題になりつつ有ります。増山氏他が約50年前に行った製薬企業への警告は、実は将来の日本の製薬産業のためのものでもあったのです。あの時、薬における疫学統計学の重大性に気づき、教育界や企業での教育充実に取り組んでおれば日本の製薬産業はもっと発展したでしょう。

一つだけ、前述の北川氏、蜷川氏、増山氏に注文を付けるとすれば遺伝学の欠如です。そのおかげで、日本では現在でも遺伝学と統計学は全く別の科学分野として捉えられています。日本の製薬企業もさすがに疫学統計学については重視せざるを得なくなっています。しかし、最近の世界の製薬産業には遺伝学を発展させたゲノミクスが不可欠になって来ています。日本の教育界、産業界における「ゲノミクス」の欠損が、将来の製薬産業に更に大きな打撃を与える可能性があると私は以前から警告しています。モノよりも情報の重要性が増大してくるからです。

ここで増山氏と東大物療内科について興味ある話題を提供したいと思います。日本の統計学における東大物療内科の貢献は前述しましたが、最近の遺伝統計学研究者も、なぜか東大物療内科出身者が多いのです。私は物療内科出身者に統計学者が多い理由は、統計学者は権威を嫌うという事と関係していると考えています。価値は権威にあるのではなく、現実データを解析した結果に有るというのが統計学の基本的な主張だからです。権威者が統計学を忌み嫌うことは私は何度も見てきました。多くの権威といわれるものも、実は脆弱な基盤に基づくものかもしれません。統計学や遺伝学には自由な発想が不可欠です。先輩の考えをうのみにせず、前提をすべて取り去った上で、自ら根源から論理と思考を構築していく必要があります。そのため、信じていた基盤がくずれさった泥沼の状態では統計学が最強なのです。

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