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第103号 科学者は歴史を知ろう(1)

色々な科学の分野で、日本は歴史に学ぶ事が不十分であると思います。これは、明治以来、科学を欧米に学ぶ事が多かったものの、最先端の科学、技術を学ぶ事に忙殺され、その、よって来る根源を知ろうとする余裕がなかったせいでしょう。しかし、これまでとは違い、欧米に学ぶ国は日本だけではありません。多くの国々が我々の競争相手となります。これからは欧米の科学に学んで多少の改善を加えるだけでは不十分だと思います。

本当の意味で欧米に肩を並べるためには、科学の歴史を学び、鳥瞰的な視野を持つ事が大切だと思います。もちろん全ての人々がそのような視野を持つ必要はありませんが、少なくとも日本をリードする研究者にはそのような視野を持って欲しいのです。

例えば、私の専門分野に遺伝学があります。2007年に、英国のHarperの書いた、Sort History of Medical Geneticsという本にはこう書かれています。「Japan provides an unusual situation, for medical and human genetics have here been particularly weak, despite highly developed scientific, technological, and medical traditions.」

「日本は人類遺伝学と、遺伝医学が極端に弱い!!!」。その理由の一つが、用語の定義にあります。実は日本にはまだ「genetics」という科学分野は無いのです。歴史を調べれば、geneticsは1904-5年にBatesonにより「Heredity & Variation」を対象とする科学分野として定義された事がわかります。しかし、「遺伝学」は1905年に出版された夏目漱石の「趣味の遺伝」にも用いられている用語で、「Heredity」のみを対象とするものです。従って、日本の「遺伝学」は世界の「genetics」に比較して、遺伝のみに偏り、狭い分野を対象としているのです。そのため、日本の遺伝学では統合的見方が進歩していません。

私のもう一つ専門分野に「統計学」があります。歴史を調べれば、統計学はgeneticsの大きな影響の下に始まった科学分野であることがわかります。現実のデータを分析するための統計学の創始者として英国のGalton, Pearson, Fisherの役割は疑いもありません。遺伝学者であるGaltonは身長の親から子への遺伝の問題から「回帰」という言葉を定義し、Fisherはメンデルの法則から「分散」という言葉を定義します。メンデルの法則の評価において激しく対立して分離した2つの分野が「記述統計学」と「推計統計学」なのです。Morganによるショウジョウバエの連鎖解析の問題から「尤度」を定義したのもFisherです。Fisherは、次のように述べています。

R.A. Fisher (1929) “The fact is that nearly all my statistical work is based on biological material and much of it has been undertaken merely to clear up difficulties in experimental technique”

現存する科学雑誌、BiometrikaとAnnals of Human Geneticsの創始者がPearson (とGalton)である事はよく知られた事です。

このような事は統計学の歴史を知ればすぐにわかることです。しかし、日本の統計学者の多くはこのような事にあまり興味が無いようです。

Geneticsと統計学はこれからの世界の科学や産業の中でも特に重要な分野です。極めて広範囲の分野に関係する上に、統合的理解のために高度な教育と思考のシステムが必要なためです。

次回は、若いころ私が衝撃を受けた、Thomas Kuhnの「The structure of scientific evolutions(科学革命の構造)」についてです。

 

(続く)

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