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第96号 不確実性を対象とした合理的判断

前回の理事長通信ではネイマンの連合軍における貢献を想像を交えて書きました。実は、私はネイマンの連合軍における貢献の詳細を知りません。それでも、なぜずうずうしく解説したかというと、彼の考え方を理解していると思うからです。私は、科学を理解するためには、科学者の人間性を理解することが重要であると考えています。

ネイマンはロシア生まれの数学者で、ポーランドを経た後にイギリスのカール・ピアソンの下に学んでいます。短期にフランスに留学し、ボレルとルベーグに学んでいます。ロンドン大学では上司のカール・ピアソンと同様に、フィッシャーと激しく対立しています。カール・ピアソンの子のエゴン・ピアソンとは親友です。アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に転じ、ここで、アメリカで始めての統計学部門の設立に尽力します。現在のバークレー校の応用数学における隆盛の原因の一部はネイマンにあると思います。内容はわかりませんが(おそらく秘密にされていると思います)、第二次世界大戦で連合軍に関係した仕事をしています。

我々は不確実な対象を判断する時、「直感」をしばしば使用します。しかし、直感は主観に作用されやすく、人によって異なるし、好み、気分、利害にも影響されやすいものです。それではどのようにして不確実な対象物を客観的に、合理的に判断できるのでしょう。そのような問題に取り組んだのがゴールトン、ピアソン、フィッシャー、ネイマン他の統計学者たちです。統計学の場合、日本では数式が最初に出てくる傾向がありますが、数式は統計学の言語の一部に過ぎません。それぞれの考え方を理解することが大切なのです。統計学は不確実性の中で、どのように合理的に判断し、行動すべきかの指標を提供します。必ずしも正確な数値が得られるときだけの手法ではありません。

ここでは、フィッシャー、ネイマン、それに最近のベイズ的考え方について、例を用いて説明したいと思います。

まず、戦争の場合を考えましょう。例えば敵が明日攻めてくる可能性があるとします。近くに敵の大艦隊が存在するか否かが問題です。存在すればレーダーに映る、主要港に艦隊が存在しない、などのデータが得られる可能性が高いとします。そこで調べたところ、レーダーに怪しき影が映っています。主要港に艦隊は存在しないようです。直観主義者は「近くに敵の大艦隊がいる」と確信します。なぜなら「近くに敵の大艦隊がいる」という仮説が正しい時に得られるデータが存在するからです。しかし、フィッシャーはそうは考えません。逆に「近くに敵の大艦隊がいない」という仮説(帰無仮説)を考えるのです。そして、それをどれだけ強く否定できるかを考えます。近くに敵の大艦隊がいない時に、レーダーに怪しき影は映らないのでしょうか、主要港に艦隊が存在しないことはないのでしょうか。レーダーの性能が悪く、何もなくても反応を示すことも有るかもしれません。主要港には艦隊は無いが、どこか他の海を航行中かもしれません。「近くに大艦隊がいる」という仮説が正しい時に観察データが得られる確率が高くても、「近くに大艦隊がいない」という帰無仮説が正しい時に観察データが得られる確率が非常に小さく(例えば5%以下)なければ「近くに大艦隊がいない」という可能性を否定出来ないというのがフィッシャーの考えです。つまり、帰無仮説をどれくらい否定できるか念頭に検定を行うのです。

ネイマンはそれに対し次のように反論します。「近くに敵の大艦隊がいない」という帰無仮説が正しい時だけではなく、「近くに敵の大艦隊がいる」という対立仮説の時も考えるべきだというのです。「近くに敵の大艦隊がいない」という帰無仮説が正しい時に観察データが得られる確率を、「近くに敵の大艦隊がいる」という対立仮説が正しい時に観察データが得られる確率で割った比を重視します。これが尤度比です。確かに帰無仮説が正しい時に観察データが得られる確率が低くても、対立仮説が正しい時に観察データが得られる確率も低ければ対立仮説が正しいかどうかの判断は困難です。近くに敵の大艦隊がいる可能性を判断するために十分ではないのです。尤度比の高い結果を集めていって棄却域を設定するのがネイマン流です。観察データが棄却域に落ちれば、近くに敵の大艦隊がいると判断します。そうすることにより、最も良い検定ができるというのです(ネイマン・ピアソンの補題)。このような手法を用いてネイマンは第二次世界大戦の戦略に大きく貢献したのではないかというのが私の予想です。戦争における一つの判断は、何千人何万人の命に直結する深刻で大きな判断です。個人個人の主観をできるだけ排除し、客観的な最良の判断を行うシステムを構築する必要があります。日本軍の戦略決定において「直感と情緒」が支配したとすると、その非を指摘するだけではなく、対案が必要です。日本軍と米軍の兵器の比較だけではなく、判断と意思決定法の対比も今後の大きな研究対象でしょう。

同じ問題は、医療にも存在します。例えば病気の診断です。問診、診察、検査などにより個人からデータが得られますが、病気Aである時にそのようなデータが得られる確率と、病気Aでない時にそのようなデータが得られる確率の比を考えるべきなのです。多くの一般の人々や初心者の医師は、「病気Aはこのような症状や検査結果を示す事が多い」という記述をもとに、そのようなデータが得られるとすぐその病気である可能性が高いと判断しがちです。これはフィッシャー以前の直感に近い判断です。むしろ、「病気Aでない時にそのようなデータを示す確率」を考えるべきだというのがフィッシャー流です。後者の確率が小さい時、その病気Aの可能性が高いと考えるのです。しかし、ネイマン流に言うと、「病気Aで有るときにそのようなデータを示す確率」も考え、尤度比で判断すべきだとういうことになります。これは米国では内科学の最初に教えられることのようですが、日本では必ずしもそうではないようです。

ただし、ネイマン流の判断手法を更に進めたのがベイズ流の判断手法です。例えば、大艦隊が攻撃で壊滅した国が敵国なら、その後、1か月で大艦隊を再建できる確率は極めて低くなります。同じ尤度比でも、もともと大艦隊が存在する確率により判断は大きく異なるはずです。病気の診断の例で言えば、同じ尤度比でもまれな疾患の場合と、ありふれた疾患の場合は判断が異なるはずです。目の前に現れた患者がまれな病気を持つ確率は「もともと」低く、ありふれた病気を持つ確率は「もともと」高いのです。ネイマン流の判断では、個人が病気Aを持っている、持っていないという仮説を前提としているので、もともとその個人が病気Aを持っている確率を考えていないのです。そこで、次のベイズの定理が出てきます。

 

病気の事後確率 = (もともとの病気の確率 x 病気の時に観察データが得られる確率)/(( もともとの病気の確率 x 病気の時に観察データが得られる確率)+( もともと病気でない確率 x 病気でない時に観察データが得られる確率))

 

これは慣れないと難しい式ですが、よく考えるとなるほどと思える式です。是非、紙に図を描いて考え、納得してほしいと思います。

 

以上のように、

直観主義 → フィッシャー流 → ネイマン流 → ベイズ流

と、仮説と観察データからどのように不確実性の中で判断を下すかの考え方が進歩していることがわかります。

 

理科系と言われる人々が政治家、経営者、裁判官などの分野で力を発揮するためにはこのような判断技術を修得する必要があると思います。

ただし、ベイズ流では、もともと大艦隊がいる確率、もともと病気の確率(事前確率)を判断に用います。しかし、このような確率の推定は難しいことも多いのです。主観によることも多いでしょう。それでもベイズ流の判断をしようとすると、過剰判断になる可能性があります。むしろ、直感のほうが正しい判断をできるという事もありそうです。

ただし、最近、直感による判断は難しい場合が多く出てきています。それは、主観的判断は誰かが行う必要があり、失敗した時にその人が責任を追求される事が多いからです。以前のように情報の公開と伝達が不完全な場合、責任問題はあいまいになりがちでした。しかし、最近のように情報の公開と伝達が完全に近く行われると、責任が激しく追求されます。例えば医療行為では、いくつかの異なった手法を主観的に選択するときに、結果が悪かった時、手法の選択の責任を追求されます。従って、最近は、多くの医師が討論し「ガイドライン」を作成して、それに従って医療行為を行うことが増えてきました。しかし、ガイドラインは新しいデータの出現で変化し、また、ガイドライン通り行うことも容易ではありません。従って、将来はガイドライン作りも医療行為も人工知能とロボットが行うようになる可能性があると考えられています。

ところが、それにも問題があります。判断するのは人工知能なので、意思決定を行った人を責任追求することが難しくなります。人間が主観的に判断した場合、責任追及が行われるので人工知能が判断するようにしたのですが、今度は被害者が誰を責任追求してよいかわかりません。これは、戦争や医療だけではなく、これからあらゆる場面で出現する可能性のある問題です。例えば自動運転車です。死亡事故が起きた時、誰が責任を取ればいいのでしょうか。また、裁判もそうです。誤審が明らかになった時、誰が責任を取ればいいのでしょうか。

全体の被害の確率を考え、主観的判断による被害と人工知能による判断が同じ程度か、多少人工知能の方が被害が低い程度なら、人工知能は役に立ったとは言えないでしょう。問題は、人工知能に任せたほうが主観的判断よりはるかに被害が少なくなった場合です。医療判断を人工知能に任せたほうが被害者がはるかに少なくなる、自動運転のほうが旧来の車より事故がはるかに少ないとします。それでも、被害者が0にはならないでしょう。その時、被害者、あるいは家族は誰を責任追及の対象としたら良いのでしょう。いずれ、この問題が最大の問題になると考えられます。

上記の合理的判断は戦争、医療、裁判など人命に関わる深刻な場合に有効です。娯楽や恋愛など深刻ではない場合に合理的判断を行う必要はありません。そこは、義理と人情でいいのです。日本の問題点は、戦争など人命に関わる深刻な場合にも「直感と情緒」に基づいた判断をしがちなことです。

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