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2015年08月28日

第104号 科学者は歴史を知ろう(2)

大学卒業前に次の本を読み、衝撃を受けました。

 

科学革命の構造(トーマス・クーン)

Thomas Kuhn The structure of scientific revolutions

 

それまで、私は科学とは真実を解明するプロセスであると漠然と考えていました。従って、過去より現在、現在より未来の科学はより真実に近いと考え、我々は次第に真実に近づいていると考えていました。

確かに真実とは何かと言う問題はあります。例えば、互いに矛盾する公理系(真実)を持つユークリッド幾何学とリーマン幾何学がどちらも矛盾無く成立するという問題、ゲーデルによる不完全性定理の証明、通常集合論の無矛盾性の否定などにより、科学的真実の存在は疑われてはいました。しかし、「パラダイム」と言う新語をともなって現れたトーマス・クーンの「科学革命の構造」に記載された科学史観は衝撃的なものでした。

彼は科学の歴史(主として天文学、物理学)を詳細に調べ、科学者達の思考と行動様式を客観的に分析します。そして、科学的業績を「正常科学」と「異常科学」に分けるのです。原文ではnormal scienceとextraordinary scienceです。日本語で「異常」というと悪いことのように聞こえますが、英語でextraordinaryはむしろ、非常に良い意味で使われることが多いと思います。周囲と同じように振る舞うことが良いことで、それからはずれると悪いことと考える日本社会では理解が難しい解釈です。

通常、科学者集団は、自分たちが共有するチャート、図、グラフなどで描かれる概念的フレームワークに従って研究を進めるというのです。そのフレームワークはその当時の科学者集団の間では正しい科学を認定するものであり、即ち、クーンの言う「パラダイム」です。科学者集団はそのパラダイムに従って正常科学を積み重ね、後始末的な業績を追加していき、もはや加えるところが少ないという状態になります。

もう正しいことは解明尽くされつつあると考えられた時、一人、あるいは少数の科学者が突然、異常科学を始めるというのです。異常科学は最初のうちは既存科学者集団の多くから無視、あるいは激しい攻撃を受けますが、次第に賛同者が増え、結局、以前の正しいことを決める概念的フレームワーク(パラダイム)を打ち壊してしまうというのです。即ち、パラダイムシフト、あるいは科学革命が起きるのです。

しばらくすると、科学者集団は、その新しいパラダイムが昔からあったかのように振るまい始め、ほとんどの科学者が新しいフレームワークに従った研究業績を上げていくというのです。今度はそのフレームワークに合致した研究ほど良い研究と評価されるというのです。科学革命の例としてはコペルニクス、ガリレオによる地動説、ケプラーによる惑星運動の数式化、ニュートン力学の構築、アインスタインによる特殊相対性理論、ボーアやハイゼンベルクによる素粒子論をあげています。

そう言われれば、確かに真実に次第に近づくという、以前の科学史観には腑に落ちない事がありました。第一、現在の科学がすべて正しく、これまでの科学はすべて間違っているような考えが主流ですが、歴史を考えるとそんなことはありえないでしょう。現在の科学も、また未来の科学者からは間違っていたと言われるに決まっています。また、科学が真実に次第に近づくというなら、ある時から科学の進歩は停滞し、ついには停止してしまいそうですが、そんなことはありえないでしょう。

クーンの科学史論は、私にとって、それまでの疑問の多くを解消してくれる、本当に画期的なものでした。

特に日本では、先生や先輩の言われるとおりに研究を進めることが良いことのように考える傾向があります(現在では変わってきつつあると思いますが)。先人の道を踏み外さない方向を良しと考える傾向があります。こういう傾向は良いこともありますが、問題も大きいと考えています。教育現場では「恩師」「弟子」「教え子」などの呼称は好ましいものです。しかし、独立した研究者がそのような呼称を用いるのはいかがなものでしょうか。私は科学者が「あの研究者は私の恩師筋に当たる」などと書いているのを見ると、背筋が寒くなります。このような状況で、日本で科学革命を起こすことは容易ではないと推測されます。

それでは、クーンの唱える科学史は、物理学だけではなく生物学にも通用するものでしょうか。そして、近い未来に生物学に科学革命は起きるのでしょうか。

次回、それについて私の考えを述べたいと思います。

 

(続く)


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