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2015年03月16日

第94号 暗号解読と戦艦武蔵

最近公開された映画「イミテーション・ゲーム」を見みてきました。アラン・チューリングを中心とした英国の暗号解読チームが解読不能と言われたドイツ軍のエニグマ暗号を解き、連合軍を勝利に導くというストーリーです。チューリングがそのような仕事に従事していたことは以前から知られていました。また、伝えられる彼の理論を見ると暗号解読に不可欠な役割を果たしたことは間違いないと予想されていました。今回の映画の内容が真実からそれほど違わないとすると、彼の役割の大きさが理解できます。

彼が作った機械は、その後、進歩を続け、今ではそれを人々は「コンピュータ」と呼ぶ、というエンディングを見たり、エニグマ暗号の解読により戦争が2年早く終結し、1400万人の命が救われたと歴史家は推定しているというテロップが流れたりすると、確かにその偉業の大きさは納得できます。しかし、私にはそれよりもフィリピンの深海で発見された戦艦武蔵との対比が頭から離れないのです。

我が国と英国の戦略に関する違いをこれほど象徴するものは無いのではないでしょうか。日本軍は目に見える「モノ」のみに興味を集中し、「情報」を重視する姿勢が弱いという点です。暗号はもちろんのこと、機械制御理論や統計的戦略設計でも日本軍は大きな遅れをとっていたと考えられます。それぞれの情報分野で、連合軍で働いていたチューリング、ウィナー、ネイマンという天才数学者の名前がすぐ浮かびます。

私が暗号に興味を持つには特別の理由があります。暗号の問題は私が専門とする遺伝学の問題と瓜二つなのです。暗号と遺伝学は、モノ、データ、情報、という、3つのレイヤーの構造が同じです。暗号の場合、モノあるいは物理的対象は電波です。データは暗号文です。そして、情報はその意味です。遺伝子の場合、モノはDNAです。データはヌクレオチド配列です。そして、情報は表現型との対応です。多くの人々はデータと情報の区別がつきません。この2つはモノと違って形が無いところは同じです。しかし、データと情報には大きな違いがあります。データはモノと一対一対応をするので誰でもわかります。しかし、情報はそれを捉える概念の理解と高度な技術があって初めて認識できるものなのです。イミテーション・ゲームでも毎日気の遠くなるような量のドイツ軍の暗号文が解読部隊に渡されます。しかし、データだけでは人々に役立てるには不十分なのです。暗号文を論理的数理的に解読し、その意味を知る必要があります。遺伝学の場合も全く同じことが言えます。

私は、我々日本人は情報を認識する力が特に弱いと考えています。データを基に情報を引き出す手段は論理と数理です。深刻な現実問題に対処するためには論理と数理を基礎にした情報に基づくべきです。しかし、情報を十分捉えられないと、直感と情緒に基づいた行動を起こしがちです。前例がある場合はそれでも失敗は少ないのですが、前例がない場合は失敗の連続です。野中郁次郎他による日本軍の組織的研究書「失敗の本質」に書かれている行動は、まさに戦争と言う深刻な事態においても「直感と情緒」が集団の意思決定を支配した典型例のように思えます。

日本のゲノム解析研究においても、情報を認識する力が特に弱いという欠点が出ているように見えます。ゲノム解析の機械ばかりを重視し、データから重要な情報を抽出するという過程が軽視されているのです。それは、予算、人材、評価のあらゆる面から言えます。欧米では機械とほぼ同額の予算が情報解析に必要とされますが、わが国では遠く及ばない少額予算です。情報を良く理解できる研究者が全体のマネージメントを行うべきですが、わが国では情報解析は単なる研究補助としての扱いです。機械を買ったかどうかは厳重な評価対象ですか、それから得られた情報の重大性を評価される事は稀です。

情報を捉えるには統計学、情報学などに習熟する必要がありますが、それよりも現実と数理を結びつけるための脳の中の概念構築が重要です。それは、1.現実世界の対象物に対し、変数(任意の対象物)と値(特定の対象物)を区別する習慣です。次に、2.集合と要素を区別することです。そして、3.数える対象物と測る対象物を区別することです。これは、英語を話していると自然に区別できるようになる概念ですが、日本語ではやや困難です。その理由は、1.定冠詞と不定冠詞、2. 単数と複数、3.可算名詞と不可算名詞の区別が英語にはあるが日本語にはない事と関連しています。この能力に欠けると、数学が現実と分離してしまいます。日本のように純粋数学は理解できても応用数学が不得意になるのです。なお、物理学における数学に日本人が強い理由は対象に明確な順序(order)が有ることだと思います。空間における位置や時刻は実数などで記載できることが示す通り明確な順序(全順序)を持っています。従って、前記の3つの区別は重要ではありません。しかし、人間などの生物は部分的な順序は持ちますが(半順序)明確な順序を持ちません。そのため、前記の3つの区別を理解する必要があるのです。

日本は非常に多くの次世代シークエンサーを米国から購入していますが、有効に使われずに眠っていることも多いと聞きます。また、価値の高い論文になることが少ないという話も聞きます。そのような話を聞くにつれ、私はどうしても戦艦大和と戦艦武蔵を思い出してしまうのです。

そして戦艦武蔵と暗号解読の対比は日本の製造業の未来にも関連するのではないでしょうか。スティーブ・ジョブズはiPodの成功を聞かれ「日本の巨大な家電メーカーは、ハードには強いがソフトには弱い。iPodは箱に収まっているが実態はソフトなんだ」と言ったといわれます。斬新なソフトは前述の情報の概念の理解なしに作ることは不可能です。膨大な顧客データを基に論理的数理的に情報を引き出し、瞬時にソフトに反映させる必要があります。日本のメーカーはそのような体制が不十分なため、一般消費者向けの製品からの撤退を余儀なくされているのではないでしょうか。我々は目に見える戦艦武蔵だけではなく、目に見えない暗号解読や機械制御理論、更には統計的戦略設計の価値も十分理解できるようにする教育を目指す必要があります。さもないと、半導体と消費者向け電子製品に起こったことは、虎の子の別の産業にも起きるに違いありません。


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