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2015年03月02日

第93号 これから重要になる理論生物学

モノを考える上で極めて強力な科学分野として理論物理学があります。例えばアインスタインは物理実験を行ったわけではありません。彼は、特許庁の役人を勤めながら特殊相対性理論を考えたのです。彼の理論が世界に及ぼした影響の大きさは言うまでもありません。生物の世界では今の所、実験が優位です。しかし、これからは理論生物学が極めて重要になると私は考えています。

生物でも分子のレベルでは数学的理論が重要です。それは、分子をモノとして取り扱えるからです。細胞、個体、家族、集団のレベルになると数学的理論が通用しにくくなります。これらのレベルではある程度数学が応用できるにしても、レベルを超えた応用は難しいというのが現状です。

私は生物全体を多レイヤー構造 (multi-layer structure)として捉えることを提唱しています(下の図)。 life, species, population, family, individual, somatic cell の6つのレイヤーです。隣り合ったレイヤー間の関係は集合と多様な要素です。そして、ダーウィンの進化論は lifeとspecies を、メンデルの法則は individualとfamily のレイヤーを結合させるための理論だと考えるのです。その間に populationというレイヤーを挿入することにより総合説が成立したのです。ダーウィンの進化論、メンデルの遺伝学、そしてpopulationレイヤーを挿入したFisherらの理論が理論生物学の典型的例です。

この関係は物理で言う「次元 (dimension)」に似ているという指摘がありました(例えば、東京女子医科大学の山中寿氏)。確かに、点の集合が線であり、線の集合が面です。面の集合が空間です。隣接した次元は集合と要素であるという点は一致します。しかし、物理学とは大きく異なった一面があります。物理学では集合の要素が連続で並んでいることです。そのため微分、積分(リーマン積分)が有効に活用できます。それが理論物理の根幹を支える重要な性質です。これに比較して、生物学の隣り合ったレイヤー間では集合の要素が並んでいません。並んでいないと、数学的取り扱いが極めて難しくなります。この「並ぶ」という性質に相当する信頼できる(ほとんど変わることの無い)生物のレイヤー間の性質は無いでしょうか。点、線、面、空間の間を結合する要素は「位置」という性質です。位置の異なった点の集合が線になり、位置の異なった線の集合が面になり、位置の異なった面の集合が空間となるのです。

「位置」に相当する生物のレイヤー間を結合するための要素は「ゲノムデータ」です。ゲノムデータはデジタル情報なので、それを基にすべての細胞を並べることが可能です。すべての個体を並べることも可能です。距離も定義できます。並べることができる理由は、もともとゲノムデータは系統樹の形で由来を記載することが可能だからです。ゲノムデータによる要素の整列は、物理における時刻や空間(位置)のように一意に決まるものでは無いように見えます。しかし、系統樹のような形で由来に基づいて成立させれば、一意に整列させることが可能です。

上記のような整理をすれば、生物では物理のようにリーマン積分は不可能にしても、集合に対する測度(ルベーグ測度)を定義することが可能であり、数学的な解析が可能です。実は、遺伝病の責任座位の解明に需要な役割を果たした連鎖解析、多因子形質の関連座位解明に重要な役割を果たしたGWAS は、このような集合と測度の性質を利用しています。連鎖解析では人々をゲノムデータをもとに家系という形で整列させており、その上に測度(確率)を利用した計算を行います。 GWASでは特定の座位のゲノムデータを基に人々を整列させ、その上で形質を基にした測度の概念を用います。

これから理論生物学が重要になる理由は、各レイヤー内だけの理論では全体を説明できなくなるからです。しかも各レイヤーからは膨大な知見が出てきます。例えば、世界の殆どの人々の全ゲノム配列はもとより、各細胞の全ゲノム配列、 mRNA、エピゲノム、蛋白質等のデータも将来は得られるでしょう。動植物ではゲノム改変が次々に行われ、様々な生命体が作られるでしょう。いずれは人間にも遺伝子改変が行われる可能性も皆無とは言えません。

その是非を判断するには、現在の生命倫理だけでは不十分になるでしょう。生命倫理の専門家も、「私が理解できないことはやってはいけません」というのでは説得力に欠けます。生命倫理を判断するためのより深い理論が必要になるのです。

理論物理学が成立するためには、それにより、より深い洞察ができるというだけでは不十分です。まだわからないことを正しく予測できることが重要です。私は、多レイヤー構造理論の応用についても述べています。一つのレイヤーから得られた知見を他のレイヤーに応用することにより大きな発見(ブレークスルー)ができると考え、私の経験からそれを例示しています。

例えば、family layer における遺伝的酵素欠損の例から、最初の癌抑制遺伝子の証拠である somatic cell layerにおけるMTAP 欠損症を思いついたこと( 1982年)、species layer における治療薬(抗生物質は人間と細菌の間の遺伝的差異を利用)の例から癌の最初の個別化医療である somatic cell layerにおけるMTAP 欠損がんを対象とした癌の個別化医療の例を思いついたこと( 1981年)を述べています。また、創薬にも多レイヤー構造の理解が有効であることを述べています。

理論生物学はいずれ理論物理学や数学と対決するようになり、融合するようになるでしょう。私は、痛風財団理事長通信の第 52号の中で「メンデルの法則と代数構造の類似性」について述べ、人間の作った数学が共通の代数構造を用いるのは、高等生物、人間存在の基盤であるメンデルの法則に由来するのではないかという仮説を述べています。人間がその法則に支配されているから、その人間が、類似した構造により対象物を説明するという理論です( http://www.tufu.or.jp/bbs/2014/265.html )。

日本ではこのような大局に立った科学が少ないのではないでしょうか。それは、歴史的に欧米の科学を「学ぶ」という行動様式と、日本の社会が閉鎖構造を持ちやすいことによるのではないでしょうか。現在の多くの科学者が理解し賛成するという事は、理論物理学の場合は意義ある理論としての条件を欠いています。しかし、閉鎖構造の中では多くの科学者が理解できない理論は無視されます。

これからは、お手本が無い分野を切り開く研究者を育てる教育が必要です。

 生命の多レイヤー構造(Multi-layer structure of life)


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