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第75号 医学生物学における論文不正

最近日本の医学生物学の分野で論文不正の問題が急増しています。STAP細胞だけではなく、実験データの捏造や改ざんが疑われる例が続発しているのです。更に大きな問題は、薬の臨床試験データに関する問題です。日本での売上が1番と2番の薬物について、臨床研究の論文のデータや、論文から引用した図の内容が捏造されたり改ざんされたりしているのではないかと疑われているのです。このままでは、日本発の医学生物学論文全体が世界から疑いの目で見られる恐れもあります。

日本人はもともと真面目で犯罪も諸外国に比べ極端に少ないにもかかわらず、なぜこのような研究論文不正が起きるのでしょうか。その原因は、私が常々主張しているように、「日本人にはモノはよく認識できるが、データと情報、特に情報を認識する力が弱いから」だと考えています。モノの価値は良くわかるので、それを毀損したり盗んだりすることはとんでもないことなのですが、データや情報、特に情報を毀損したり盗んだりすることに対する重大さを認識しにくいのではないでしょうか。論文不正を行った研究者も、モノを盗んだり故意に毀損したりすることは絶対にないと思います。しかし、情報を隠したり、捻じ曲げたり、捏造するとどのような影響があるかを認識する力が弱いのではないでしょうか。

例えば、臨床データの解析を間違えることでどのような影響があるでしょうか。それにはやはり統計が必要なのです。たとえば最近、英国からHeart(心臓・冠動脈関係の有名国際医学ジャーナル)に発表された論文があります。手術前後に心筋梗塞のリスクがある人にベータブロッカーを使うか使わないかに関して、ガイドラインでは使うことになっていたところ、メタ解析の結果、実は使った方が死亡例が少し多いことがわかったのです。どれくらいの人たちが犠牲になっていたかというと、年間1万人です。

日本における交通事故の死亡者は5,000人以下です。でも一方で、統計解析を行うことによって救える1万人の命がある。こういうことの大切さは、確率という概念をしっかり理解できない社会では納得してもらえないでしょう。それによる影響は1万人の人の命ではあっても、それは統計的推定に過ぎず直感では認識されにくいのです。

モノとデータ、それに情報の関係は遺伝子を考えるとわかりやすいと思います。モノはDNA、データは遺伝子配列です。情報とは遺伝子配列と表現型(例えば症状)との関係です。モノとデータは「ある」か「なし」の概念で認識できますが、情報を認識するには「確率」という概念を理解する必要があります。確率を理解するには「集合と要素」「任意の要素と特定の要素」「量と質」の違いを認識する必要があります。それが英語の「複数と単数」「不定冠詞と定冠詞」「可算名詞と不可算名詞」に反映されているのですが、我々は言語的にそれらの概念を認識しにくいと思います。現実の対象物にこのような概念を当てはめて初めて「確率」を認識でき、情報の重要性を認識できると思います。

臨床情報を捻じ曲げることは、実際に多くの人を死に追いやることが有るということを認識すべきです。たとえ、それが直感的には認識することが不可能であるにしても。

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