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2014年05月29日

第74号 新しい産業に対応するための教育(14)医療行為の選択基準とエビデンス

深刻な問題にこそ情報を論理的、数理的に認識する必要があります。前回はそのような例として戦争を取り上げました。第二の深刻な問題の例は「命」です。

命に関しても不確実性があります。我々はいつ死ぬかわからないし、治療で死ななくてすむかも知れません。しかし、治療したからこそ死期を早める可能性も無いわけではありません。そして、このような不確実性を前提に選択を行わなければなりません。どの薬を選択するかは基本的に患者に選択権が有りますが、医師の裁量が大きい領域です。何を選択基準とし、特定の薬を選択する事が妥当でしょうか。あるいは、薬は一切服用しない方が良いのでしょうか。この選択についても、他の分野と同様に、欧米では論理と数理に基づくことが多く、日本では全員ではありませんが直感と情緒の影響がより強いのではないでしょうか。

例えば心筋梗塞など、心臓のリスクのある人に手術を行うとき、血圧を下げる薬を使うべきでしょうか。手術後に一部の人は心筋梗塞を発症します。血圧を下げるとそれは防げそうです。しかし、血圧を下げると他に悪い影響があるかもしれません。血圧を下げるべきか下げざるべきか、迷うところです。

欧米のガイドラインには最近まで手術前後でβ阻害薬という、血圧を下げる薬を使うことを推奨していたようです。しかし、最近、全世界に衝撃が走りました。複数の論文のデータを統計的に解析した結果(メタ解析といいます)、手術前後にβ阻害薬を使ったほうが、有意に死亡が多いという結果が出たのです(Bouri S et al. Meta-analysis of secure randomised controlled trials of β-blockade to prevent perioperative death in non-cardiac surgery. Heart. 2014, 100:456-64.)。これまでのガイドラインでは手術前後に心臓リスクのある患者にβ阻害薬を使うことを推奨していたのですが、その誤った推奨により英国だけで年間1万人が余計に死亡していたと推定されました。どうやら、以前のガイドラインに用いられた、あるグループによる複数の臨床研究に不正があったようなのです。

年間1万人の命というと大変な数です。日本人の交通事故死亡者数が年間5千人以下ということを考えるとその重大性がわかります。しかし、この論文の結論が本当に正しいか、1万人の死亡というとんでもない数値がどれだけ信用できるか納得することはそれほど容易ではありません。まず、メタ解析という方法について理解することはもちろん、そのような方法が妥当かどうかを判断できなければなりません。マンテル・ヘンチェル法という解析法は妥当なのでしょうか。リスク比が1.27で95%信頼区間が1.01 – 1.60、P値は0.04と書かれていますが、それはどのような意味があり、それは本当に信じていいのでしょうか。

方法が基本的に理解できないから信じられないと言う人が多いでしょう。しかし、臨床研究の論文はこのような統計的手法が不可欠です。論文の内容を判断できないと自分の医療行為の是非がわからないことになります。反対に、わからないけど権威の有る研究者が言っているので結論は間違いないだろうというのも実は困りものです。統計解析手法の名前だけ覚えて、本質を理解せず用いている研究者も多いからです。日本では「確率」の本質を理解して、その上で統計的手法の妥当性を検討できる研究者が不足していると思います。多くの研究者は、疫学や統計が大切だと言われるので一応、それを認めてはいるが、本当に納得はしていないのではないでしょうか。そのため、現実世界ではそれに反した態度を取ることのほうが多いように思います。

最近でも、抗癌剤による治療は必要がないという医師と、必要だという医師の間で論争が絶えません。実際は、ある患者には良くて、ある患者には悪いというのが本当でしょう。しかし、それを治療前から正確には予測できないことが問題です。正確に予測できない以上「確率」という概念に頼るしか無いのですが、どうも0か1かを前提に議論しているように思われるのです。

論理と数理による理解が困難だからといって、これを経験から理解することは不可能だと思われます。β阻害薬を投与されて手術を受けてもほとんどの患者は死亡しません。全体での死亡者も2.8%で、β阻害薬を投与した場合のほうが僅か27%、死亡の確率が上昇するにすぎません。臨床医が経験によりこの差に気づくことはありえないと思います。β阻害薬を投与しなくても死亡することもあり、β阻害薬を投与しても死亡しないことも有るのです。直感と情緒によりこれを重大と捉えるか、微々たるものと捉えるかは人により、場合により大きく異なります。リスク比、あるいはオッズ比が1.27くらいの情報は何の意味もないと言う人々も日本では多いのです。しかし、1万人の死亡がかかっていると聞けば重大な問題のようにも思えます。結局は「確率」の意味を正確にわかった上で論理的、数理的に把握するしか方法はないと思います。

このようなエビデンスを重要と考え、出来る限り治療を論理的、数理的に最適化する努力は欧米ではしばしば見られます。日本社会では、そのような傾向が無いとは言いませんが、かなり少ないと思います。前述の血圧を下げる薬の例でいうと、「私はたくさんの手術でβ阻害薬を使ったが、死亡は無かった」という経験データの方が日本人には納得できるのです。どうしても、0か1かでないと実感がわかないのです。統計はすべて「確率」という概念により記述されます。「確率」を実感と納得を持って認識する力が弱いと、知識としてはわかっても行動を変えることは難しいのです。

欧米では伝統的に治療法の選択にエビデンスを重視する傾向があります。即ち、常にバイアスをできる限り除いて臨床データの統計解析を行い、その結果を重視します。しかし、日本では伝統的にエビデンスは重視されていませんでした。エビデンスに基いて治療選択を行う傾向は強くなく、エビデンスを求める努力はそれにも増して小さかったものです。さらに問題なことに、最近エビデンスが出てきたことは良いのですが、臨床データの取り扱いに不正があったことが次々に発覚し、日本の臨床研究そのものが世界から疑惑の目で見られるようになっています。

それでは日本の医師は何に基づいて治療選択を行っていたかというと、経験に基づいた「直感と情緒」ではないでしょうか。あるいは分子的メカニズムや動物実験の結果も影響を与えていたように思います。日本では新しい分子的メカニズムの薬が発売されると、それにより副作用は弱いはずだという情報に基いて処方が多くなる傾向があります。しかし、本当に副作用が弱いかどうかは、統計を取らないとわかるはずがありません。実際に、欧米と日本で選択薬物が大きく異なることはよく知られています。

日本の医学界でエビデンスが重視されてこなかったことは、医学全体に大きな影響を与えています。そのため、日本の製薬会社はエビデンスを重視するより、イメージ作りを重視しているように見えます。直感と情緒に影響を与える情報のほうが、エビデンスより効果的と考えている可能性があります。娯楽や恋愛に直感と情緒を入れることには全く問題がありません。しかし、治療選択には「命」という深刻な問題が関係しています。深刻な問題には、論理と数理で対処すべきです。

薬の良さは有効性と安全性で決まるはずです。それはバイアスを出来るだけ取り除いた上での情報により決まるはずです。しかし、それを実感と納得を持って理解するためには「確率」とは何かを理解しなければなりません。そうしないとどうしても直感と情緒に押し流されてしまうのです。この理解が日本社会では薄いことはこれまで繰り返し述べたとおりです。

例えば、多くの統計の教科書ではrandom variableを「確率変数」と訳しています。Random processを「確率過程」と訳しています。「不確実性」と「確率」という全く異なった概念を混同しているのです。このような混同を放置するようでは本当に確率の意味がわかっていると言えないと思います。公理的確率論を「実感と納得」で理解できるような教育に切り替えるべきです。

次回は、新薬開発を例にとって説明します。「日本から新薬が少ない、本当の理由」です。


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