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2014年04月09日

第62号 新しい産業に対応するための教育(4)解明により得られる情報

前回は、「情報の正しさを判定する方法」について解説しました。対象が人間を含む生物である場合、多様性を考えると情報が100%正しいと言える場合は少なく、正しさの判定とは、実は確率を出来るだけ正確に推定する方法に帰せられると述べました。多様性を前提とすれば完全性の達成は困難だからです。今回は次のテーマである、「解明により得られる情報」に移ります。

以前、情報は独占してこそ価値のあるものでした。しかし、情報公開により、独占が困難になったことは前述のとおりです。いま、価値ある情報とは、解明により得られる情報です。データを見ただけでは容易には分からないが、それに論理的、数理的解析を加えることで得られる情報が価値ある情報になっています。

例えば、「腐ったリンゴはまずい」という情報はそれほど重要な情報とは言えません。そんなことは当たり前のことで解明の対象とはならないからです。しかし、おいしいリンゴの特徴をいろいろ解析し、「赤いリンゴはおいしい」という情報が得られたとすると、それは極めて重要です。リンゴがおいしいかどうかは食べてみないとわかりませんが、食べるとリンゴの商品価値は無くなります。赤いかどうかでおいしいかどうかを推定できるなら、それは価値ある情報と言えます。

このような価値ある情報を解明するためには、まず誰かがリンゴを食べてみる必要があります。しかし、一つの赤いリンゴがおいしかったとしても、それは体験談にすぎません。対象がモノであれば、体験談はある程度意味を持ちます。それは、モノは生き物と違って均一(多様性がない)の傾向があるからです。誰かがニコンのカメラを使って非常に良いと判断すれば、それは他の人にも大いに参考になります。

しかし、リンゴの場合は赤いリンゴでも、おいしい場合もそうでない場合もあるでしょう。多くのリンゴを食べてみなければわかりません。そして、赤いリンゴが、赤くないリンゴよりおいしいことが数理的に証明できれば、次の赤いリンゴもおいしいことが期待できます。

くすりの場合も同様です。私はこの薬で病気が治ったという体験談をよく見かけますが、それを信用するわけには行きません。沢山の人にくすりを服用してもらって、本当に効果があるかを調べる必要があります。服用したすべての人に効果があったとしても、次の新しい人に効果がある事を100%期待できるわけではありません。人間を含めた生物について、情報が100%正しいと言い切ることができることはほとんどないと言えます。100%ということは、人間が均一であることを前提とするものです。一人の人の中で100%正しくても、別の人でそれが言えるわけではありません。

しかし、どうしても人々は100%の情報を好むものです。しかも日本社会はその傾向が強いように思われます。すべてを、「ある」「無し」で考え、確率的な状態を容認しにくいのです。これが、これから必要な情報産業の発展をさまたげ、創薬に悪い影響を与えていると考えられます。100%ではない、不確実性を含む情報の価値を認めなければ、いつ迄立っても、「赤いリンゴはおいしい」のような有用な情報は得られません。

注意すると、「赤いリンゴはおいしい」と言う情報は二つの集合の関係に関する情報だとわかります。赤いリンゴの集合と、美味しいリンゴの集合が独立かどうかと言う情報です。全てのリンゴの集合から「任意の」赤いリンゴを取り出したとき、それが美味しい確率が「任意の」赤くないリンゴを取り出した時より高いことを意味します。

「解明によって得られる情報」の多くが、このような「関連」に関する情報であり、集合と集合の関係に関する情報です。

しかし、「関連」よりも重要な情報があります。それは、「因果」に関する情報です。例えば、「赤いリンゴは美味しい」という情報が正しいとして、リンゴを赤くすれば美味しくなるでしょうか。リンゴの表面に紅を塗れば赤くはなるでしょうが美味しくなるわけではありません。このような例に騙される人はいないでしょうが、これに似た例にはしばしば遭遇します。「食品に含まれる物質と、美味しさ、健康との関係」ではどうでしょう。「この食品には物質Aがたくさん含まれ、この食品を多く摂る地方の人は長寿が多い。だから、この物質は健康によい」などのことばに騙される人も多いのではないでしょうか。

以上のような情報を把握し、伝え、利活用する場合、「100%主義」がいかに障害になるかを次に述べたいと思います。


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