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医学の地平線

第52号 広い分野の知識と技術を取得するために、根源的な原理の理解を

従来日本社会では「その道一筋」が良い事とされた。確かにこれまでは手作業など熟練を要する仕事が多く、狭い一つの分野に打ち込んだ方が優れた業績を残せる可能性が高かった。全体的に情報も少なく、狭い範囲の情報を用いた論理の矛盾もそれほど明らかにならなかった。しかし、これからはどうであろう。

製造業ではデジタル化が進み、熟練により達成できる匠の技の価値が低下した(もちろん無くなってはいない)。コンピュータと機械が匠の技をコピーできるようになった。製造業の分野でも既に最も重要な要素はモノではなく、モノを作る情報になりつつある。3Dプリンターの普及によりこの傾向は加速されるであろう。

医学研究の分野でも還元主義の研究方法はゲノムと分子まで到達した。それらの情報はすべてコンピュータと機械により取得され、解析されるようになりつつある。その情報の規模は膨大であり、それぞれが相互に密接に関連している。一部の情報で論理を展開する事が非現実的になりつつある。これからは、還元主義の方向が逆転し、統合が必要になるであろう。

若い医学、生物学研究者には様々な分野の知識と技術をもってもらいたい。医学診療科が臓器別に再編成された事には良い部分もあったが、知識が分断され狭小化が増強されたのではないか。1つの分野の知識を深めることにも意味があるが、幅広い分野の知識を持つことも重要である。

もともと、それぞれの医師が、ありとあらゆる疾患の患者の診療を行っていたと思われる。しかし、医学の発達とともに医学分野は専門化が進んだ。診療科の臓器別再編成により患者サービスは向上したであろう。しかし、より良い診断や治療のためには分子の知識が不可欠である。多くの医学研究者が分子の研究に従事し華々しい成果を挙げた。しかし、遺伝病やビタミン、ホルモン欠乏症(過剰症)など特殊な場合を除いて、一つの分子で疾患が説明できるわけではない。一つの疾患は複数の分子に関連し(多因子疾患)、逆に一つの分子は複数の疾患に関連する(pleiotropy)。これからは、そのような複雑な関係を確かな論理で(つまり数学を用いて)統合する方向に進むと考えられる。

若い医学研究者には幅広い分野の知識と技術を学んでほしい。私自身は1975年(約40年前)、医学研修を終え、自分の方向性を決める必要が生じた時、3つの分野が重要になるであろうと予測した。第一は遺伝子、第二はコンピユータ、第三は統計学である。当時、ワトソンークリックがDNAの二重らせんモデルを発表し20数年経っていたが、医学において遺伝子はまだ手が付けられていない状態であった。コンピュータに関しては、当時大学などには大型コンピュータが存在した。しかしそれは専門家のものであり、医師や研究者が使う道具からは程遠いものであった。統計学に至っては、ほとんどの研究者がその重要性を理解していなかった。

私の入局した当時の東京大学物療内科には、その3つがそろっていた。疾患の中で当時、唯一遺伝子に近い物質を対象にしていたのが痛風であった(尿酸は遺伝子を構成するプリン体の代謝産物である)。大型コンピュータを使える環境も整備されていた(教室内に端末があり自由に使えた)。日本の統計学の創始者、増山元三郎氏が作った統計学グループは既に教室を去っていたが、増山氏の著書を始め多くの統計学の解説書があった。

それ以降、私は様々な疾患の研究に従事した。最初は痛風の遺伝子に関する研究を行ったが米国では遺伝的免疫不全症の研究と、癌の研究に従事し、最初の癌抑制遺伝子を報告した。免疫不全症の研究はクラドリビンという抗癌剤の開発につながった。帰国後は、東京女子医科大学で関節リウマチと、尿路結石症を伴う腎障害の研究に従事した。また、痛風の新薬の開発、正常体細胞における遺伝子変異の研究も積極的に行った。

理化学研究所ではさまざまな疾患のゲノム研究を行う各分野の研究者の研究補助を、情報解析、統計解析の分野から行った。そこで学んだ事は、一つの疾患が多数の遺伝子に関係している事、逆に一つの分子が多数の疾患に関係している事である。

創薬の分野でも、化合物と薬効、副作用の関係は疾患と分子の関係に劣らず複雑である。しかし、どの化合物が患者さんに幸福をもたらすかは、その化合物を投与する事によってしか確認できない。その前に、できるかぎり安全で有効な化合物を予測する必要があるが、それには分子と疾患に関する幅広い知識と技術が不可欠である。更には生物に関する原理的な法則の理解が必要である。

様々な分野の知識と技術を取得するためには、根源的な原理の理解が必要である。私の場合はそれが遺伝子、コンピュータ、統計学であった。若い研究者は自分自身にとってそれが何であるか、鋭いアンテナと鳥瞰的視野から見つけてほしい。

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