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2013年04月09日

第36号 モノ作りは日本人の遺伝子?

「モノ作りは日本人の遺伝子に書き込まれている」という産業評論家が居るそうである。確かにそう思えない事も無いが、日本人の将来のために保険をかけておいた方が良い。将来、日本の産業がモノ作りだけでは成り立たない状況にならないとは誰も保証できない。そうなったとき、日本が凋落して良いわけは無いであろう。

モノ作りは確かに日本人の蛋白質や小分子に書き込まれているかもしれない。しかし、遺伝子には書きこまれていないというのが近未来を頭に置いた適当な表現ではないだろうか。即ち、教育や習慣によって変わる事は十分に可能である。今我々がやるべきことは、モノにのみこだわりがちな日本人の傾向がどこから来ており、どのようにすればそれ以外の対象物を認識できるのかを考える事ではないだろうか。

我々のありとあらゆる認識には対象物が必要である。最も基本的な認識対象は「モノ」である。モノだけを対象とする限り、次々に要素に分割していくと言う「還元主義」が有効な解析手段であろう。しかし、モノとモノとの関連である情報や、情報と情報の関連も認識対象となりうる。例えば、法則と呼ばれるものはモノとモノとの関連に関する場合や、情報に関係する場合がほとんどである。ルールとよばれる約束事も、また情報に関係する。

モノとモノとの関連や、更に複雑な情報に関係する関連を表わすためには数学が不可欠な場合が多い。日本ではこの数学が純粋数学にとどまる傾向があり、現実社会への応用が滞る傾向がある。しかも、不確実性が伴う場合にその傾向が強い。数学の応用は天文学、物理学、化学にとどまり、生物が関与する対象物にはなかなか応用されない。

現実社会と数学との関連に関して極めて不思議な事がある。それは、ありとあらゆる分野に同じ代数構造が適用できると言う驚くべき事実である。土木建築にも、電子技術にも、天文学にも、化学にも、量子力学にも、宇宙論にも、生物学にも、医療にも、経済にも、出てくるモデルは常に同じである。単純な集合と二項演算により定義された代数系が、なぜありとあらゆる分野に適用可能なのであろうか。このことを不思議に思わない事こそ不思議である。コペルニクスもニュートンも、ハイゼンベルグもアインスタインも、サミュエルソンもグルーグマンも全く同じ代数系を用いていると言う驚くべき事実である。

まず、認識の最も基本的な対象物の定義から科学は始まる。引き続き、対象物である要素の集合を定義する必要がある。要素は「モノ」に対応させることが可能であろう。次に定義されるものは二つの要素を一つの要素に対応させる二項演算(binary operation)であり、これにより代数系、マグマができる。二項演算こそが「統合」の第一歩である。二項演算には結合法則(associativity)という重要な性質が付加される。単位要素や逆要素が定義できれば群が完成し、交換法則(commutativity)が加わればアーベル群の完成である。

私は、代数構造は遺伝法則と密接なつながりがあると考えている。科学といっても所詮、人間の認識の高度な統合であり、すべて人間が認識可能なものを対象としている。それは、表現型の一部であると言える。遺伝法則は世代を超えた遺伝型の関係に関する法則と、遺伝型と表現型の関係に関する法則であり、いずれも安定した確率が重要である。実際に、基本的な代数構造は遺伝法則と極めて類似している。人間がその遺伝型と表現型について根本的に依存している遺伝法則に、人間行動である科学が無縁なはずが無い。数学的推論の妥当性も遺伝法則に基づいていると考える。

実際に我々が多くの場合に用いる代数構造は「体(field)」である。一つの集合に二つの二項演算が定義される。これにより、要素であるモノの関係である情報や、情報と情報が関係する場合を効率よく記載し、内容を理解し、予測が可能になる。

しかし、これらを実際に現実世界に適用するためには「可算と不可算」「集合と要素」「変数と値」の違いを認識する必要があり、これが日本語では容易ではないという問題がある。日常生活で対象物を認識する場合、「aがつくか、複数になれるか(可算か不可算か)」「memberを下に持つか持たないか(集合か要素か)」「aかtheか(対象物が固定されていないかされているか)」を考える事が有効であろう。「赤いリンゴ」という場合、特定のリンゴが赤いのか、一般的に赤いリンゴ、即ち多くのリンゴのなかの部分集合かを考える事が有効である。厳密に「赤いリンゴはおいしい」という場合、赤いリンゴの集合が、おいしいリンゴの集合に含まれる事を意味する。しかし、ここで問題となるのは不確実性と多様性を認める場合で、生物や人間が関係する場合のほとんどの場合、それが前提である。「赤いリンゴはおいしい(傾向がある)」と言う場合、一つの赤くて小さなリンゴの事を言っているのであろうか、赤いリンゴと言う部分集合と、おいしいリンゴと言う部分集合の独立性を問題とするのであろうか。赤いかどうかという変数と、おいしいかどうかという変数の間の独立性を問題とするのであろうか。日本社会では、このような判断をする時、直感と印象に頼っているのではないだろうか。このような傾向がリンゴにとどまる限り大きな問題にはならないが、例えば「B型の人の性格は***である」「この薬は風邪に良く効く」などの場合には笑いごとではすまされない。一般の人々がそのような考え方をするのは理解できるが、日本では科学者や医師の中にもこのような解釈をする人々が少なくない事に驚くのである。

不確実性と多様性を理解するためには「確率」の概念の把握が不可欠である。「確率」とは、結果が不確実である事を指すものではなく、直感や印象で決まるものではなく、代数構造である「σ集合体」の上に定義された関数なのである。そこで初めて確率を加えたり、乗じたりすることの意義が理解できる。

日本社会に必要なのは、確率や統計の高度な数式や解析手法ではなく、このような現実社会の対象物の認識手段の理解ではないだろうか。


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