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2013年01月21日

第29号 不確実性と多様性にどう対処するか(5)

不確実性と多様性は以前から存在した問題である。しかし、近年その問題が急拡大した背景には情報開示の進展がある。以前は情報が乏しく不確実性が明らかに認識される事は無かったが、情報が多く得られるようになった今、その不確実性が多くの人々により認識されるようになって来たのである。

それはまた民主主義の進展とも関連がある。かつては君主により統制されていた社会が、封建制のような専制集団による統制になり、引き続き集団の全員が意思決定に加わる民主主義が普遍的になっている。社会や集団は常に意思決定をする必要があるが、基本的に意思決定は不確実性を前提に行うものである。しかし、君主制では君主に、封建制では専制集団に意思決定の権利と義務がゆだねられていた。それに対し民主主義の現在、意思決定の権利と義務は基本的にはすべての人々に存在する。どこで昼食を食べるか、どのテレビを買うかというような個人的な意思決定だけではなく、間接的にではあるが立法や政策の決定権も住民にある。

君主制、封建制、民主制の違いは暴力装置を基礎にした権力にあるのであろうが、情報とそれに基づいた意思決定の違いも顕著である。即ち、情報君主制、情報封建制、情報民主制という構造が存在するのではないか。情報君主制では重要な情報を独占するのは君主である。情報封建制では専制集団が情報を独占する。情報民主制では情報は平等であるべきであり、実際にインターネットの発達により、そうなりつつある。権力システムは情報の独占により成立する部分が大きい。

医師集団でも似たような情報集中の構造の変化が見られる。以前は欧米の医学知識に接する事ができるのは一部の大学医師に限られていた。例えば教授だけが欧米の学会に出席し、最先端の知識を仕入れてくるのである。情報君主制である。次に、大学の医局に属する医師も頻繁に欧米の学会に出席するようになった。情報封建制への移行である。そうなると、教授だけではなく、助教授、講師から若い医局員まで最先端の医療技術に接する。しかし、現在はマスメディアやインターネットを通じて、医師だけではなく、多くの人々が最先端の医学情報に接する事ができる。以前は考えられない事であるが、世界中の医学論文がPubMedというデータベースにまとめられ、一般の人々が自由に無料で見る事ができる。情報民主制社会の実現である。

このような情報集中の構造の変化に基づいて、意思決定の手法についても時代により大きな変化が見られる。情報君主制において最も効果的な意思決定手段は「天の声」である。意思決定の実行は君主にゆだねられている。重要な情報は君主しか持っていないので、その威力が絶大である事は当然のことである。情報封建制において最も効果的意思決定手段は「合議」である。あるいは合議による「コンセンサス」である。専制集団が重要な情報を独占するので、その集団の合議事項が最も大きな力を持つ。それでは、情報民主制において効果的な意思決定集団は何であろうか。一部集団による合議は天の声に比べればましであろうが、その一部による利益を代表する談合になる傾向があると言う基本的問題が存在する。実は、一部集団によるコンセンサスが比較的得られやすい理由に、利益が一致するという事実がある。医師集団によるコンセンサスが必ずしも完全に正当と言い難い理由として、意思決定に医師集団の利益が反映されていないかという疑問が抜けきれない事がある。

情報民主制においては意思決定の手段は全員一致が理想的であろう。しかし、集団が大きくなるほどそれは困難である。コンセンサスを得ようとしても、利益が一致しない人々の全員の合意がなされる事は不可能に近いからである。最終的には多数決となるかもしれないが、その前に結果を徹底的に予測する事が必要である。即ち、不確実性を前提とした予測が重要である。これまでに考察したように、その予測の方法は直感、感情、利害による記述的な物ではなく、数学を用いた客観的な物で無ければならない。それは、数学だけが誰でも認める正当な方法であるからだけではない。統計学に基づいた情報解析ほど正答率の高い不確実性への対処法は無い事が過去のデータにより証明されているからである。

日本の意思決定の問題は、民主制にもかかわらず、その意思決定手段に科学の関与が少ない事である。例えば、医療の分野でもその傾向がみられる。医療行為の不確実性についても、その理解が少ない。また、不確実性を前提とした科学的な意思決定の手段についても理解が少ない。不確実であれば、実際に得られるデータを徹底的に分析して、次に行う行為の結果を予測するしかない。それは、直感、感情、利害によるものであってはならず、客観的な統計学に基づいたものではならない。

ただ、問題は直感、感情、利害は多くの人々に理解されるが、数学は多くの人々に理解されにくいことである。日本では当然、統計学が必要とされる場合にも、人々が理解できないという理由により、直感や感情を根拠に意思決定が行われる事が多い。従って、現代日本では「決定できない集団」を生みがちである。情報君主制や情報封建制の下では意思決定をすることは困難ではない。しかし、情報民主制の下では意思決定の方法が根本的に異なる事を理解する必要がある。危険な方向性は、「決定できない集団」の現実に基づく焦りから、情報君主制による「決定できる集団」に後戻りする傾向がみられる事である。

日本で評価の高い海外の医師としてウイリアム・オスラーがいる。米国ジョンス・ホプキンス大学の内科教授を務め、数々の業績を残している。オスラーの残したことばとして、「Medicine is a science of uncertainty, and an art of probability」がある。日本語に訳せば「医学は不確実性の科学であり、確率のアートである」となる。100年以上前に生きていたオスラーが医療における不確実性という最も大きな問題と、それを解決する手段としての「確率」という概念を理解していた事は驚きである。この時代には確率という概念に基づいた統計学を医療に応用する事はほとんど行われていなかった。統計学は、この「確率のアート」をできる限り「確率の科学」に進化させるための手段であると解釈される。しかし、どうしても日本では不確実性と確率の概念は医師の間で人気が無い。「医学は科学に基づいたアートである」というような捉えられ方をすることが圧倒的に多い。

医学や医療において直感、感情も重要である。熱意無しには実現が不可能であろう。しかし、それらに加え、客観的な情報分析は益々重要になる。それが結局は患者に最大の効果をもたらす事を忘れてはならない。

社会においても「決定できない集団」を「決定できる集団」に変える手段が情報君主制への逆戻りであるはずが無い。客観的な情報分析による意思決定の重要性を人々が理解するための教育が最も大切である。


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