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2011年03月07日

第17号 日本の生物学教育

日本の高等学校の生物学の教科書を米国の教科書と比べると大きな違いが二つあります。一つの違いは米国の生物学教科書が生物の統合的理解をめざしているのに、日本の教科書が断片的知識を寄せ集める傾向がある事です。第二の違いは、米国の教科書が人間の記述を大幅に取り入れているのに、日本の教科書ではほとんどそれが見られない事です。

第一の点、生物の統合的理解に関する違いは、遺伝学(genetics)という概念の有無によるものだと思います。米国の教科書ではgeneticsという章で、(a) メンデルの法則を含む遺伝(heredity)の法則、(b) 減数分裂を含む細胞分裂、(c) 遺伝子と染色体、(d) DNAとRNA、蛋白質、(e) バイオテクノロジー、(f)ゲノム、が統合的に教えられています。これに比較し、日本では、「遺伝」という章はありますが、これはgeneticsではなく、heredityに相当するものだと思われ、この中で(a) メンデルの法則と(b) 遺伝子、染色体、が教えられています。日本の教科書では「遺伝」の章の前に、「生殖と発生」という章があり、ここで減数分裂などが解説されます。また、バイオテクノロジーや分子生物学は別の項目で取り扱われています。個体、細胞、分子、ゲノム、世代交代を統一的に捉えるような教え方を日本ではしていないのです。これでは、ゲノム情報のみが世代を超えて伝えられ、一世代の中でゲノム情報をもとに分子、細胞、臓器、個体が形成され環境とかかわる、という生命の本質的な部分が十分捉えられません。

伝統的に日本では研究者の視野が狭い傾向にあり、西欧由来の知識の断片を応用する傾向が強い事に関係していると思います。応用に近い知識や技術が重視され、根源的な論理が軽視される傾向があります。1906年に、英国で「genetics」という概念が提唱されたとき、これを遺伝(heredity)と多様性(variation)を取り扱う分野と正しく理解せず、heredityのみを取り扱う分野と誤解されやすい「遺伝学」と訳した事にも大きな問題があります。1906年に出版された夏目漱石の「趣味の遺伝」という小説の中に、既に「遺伝学」の文字がある事を考えると、遺伝学ということばはgeneticsの概念提唱以前からあったと考えられます。日本の遺伝学は旧来のScience of Heredityの分野から大きく脱皮できなかったのではないでしょうか。

そのため、日本ではDNA、RNAなどの分子に関する研究がgeneticsを無視して広がる傾向が強いのが特徴です。日本では分子生物学会という巨大な学会を形成していますが、米国では分子生物学会という学会は無く(米国生物化学学会が米国生物化学分子生物学会と名前を変えました)、geneticsという概念のもとで分子を考える傾向があります。前にも書いたとおり、日本では「人類遺伝学、遺伝医学が他の科学に比較して極端に弱い」という海外からの指摘の通りです。

分子を始めとする知識対象がそれほど多くなかった時代にはそれでも問題は大きくありませんでした。しかし、近年急速に広がって来た医学生物学研究の機械化、自動化、コンピュータ化により対象分子の数は天文学的に増加し、その分析方法もマニュアルから自動化する傾向にあります。その膨大な情報の中から特定の対象分子の重要性を主張するためには直感では不十分になってきました。そこでgeneticsという生物学の論理を活用する必要が出て来たのです。

このような生物学における統合的理解が不足している事は日本の高等学校における生物学教育に影響を与えています。例えば、高等学校生物学の先生達の討論会を見ても、メンデルの法則の意義が理解できない先生が多いようなのです。確かにメンデルの法則は、分離の法則以外は理解がかなり難しい法則です。しかし、高等生物の根源を規定するこれらの法則を教えない事はおよそ考えられません。メンデルの法則について、日本と米国の教科書のもう一つの大きな違いは、前者では割合として、後者では不確実性における「確率」として教えている事です。生物における著しい多様性は、このメンデルの法則における不確実性に存在する事を理解する事は極めて重要な事です。

日本の生物学教育におけるメンデルの法則に対する理解不足の問題は、人間の生物学が極めて少ない事に関係しています。生物を研究対象物として見たり、集団や進化対象として見る立場と、自分や家族を含んだ対象物として見る立場は著しく異なります。例えば、メンデルの独立の法則、優劣の法則は家系解析で極めて重要であり、人間以外を対象としている研究者にはその重要性は理解しにくい傾向があります。

これから健康や病気に関する社会の関心は益々大きくなります。それを医療サイドだけで受け持つとすると、医療費は爆発してしまいます。かといって、医療行為の縮小だけを考えると医療の質は低下します。これから医療を効率化するには医療サイドだけではなく、一般国民の方で医学知識を持ってもらう事が必要です。中等教育における生物学教育は、このような目標から再検討する必要があるのではないでしょうか。


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